2011年9月23日金曜日

被害者へのパターン

先日、古本屋で買った本をパラパラっと読んでいて、以下の言葉に目がとまった。『世の中には2種類の人間がいる。「アンカー(船の錨)」と「モーター(原動機)」だ。アンカーはあなたのやる気をそいで動けなくするので縁を切ったほうがいいが、モーターはあなたを元気にして勢いよく動かしてくれるから一緒にいたほうがいい。』 ロバート・ワイランド(アメリカの画家)

確かにそうであるが、エネルギー的なバランスでは、モーターとなるポジティブな人と、アンカーとなるネガティブな人との絶妙な関係性でチームやペアのバランスが取れているということもあるだろう。

例えば、チームや組織の中には、多かれ少なかれ、アンカーとなるネガティブな人が存在する。単にネガティブだからといってその人を排除して、チームのバランスが良くなるとは限らない。そのネガティブな人の存在が、チームに気づきを与え、まとまりを良くするきっかけになっていることもある。

人生を共にする夫婦でも同じことがいえるだろう。もしも、夫婦が両者ともモーター同士だとどうなるだろうか?東洋思想に陰陽の関係が深く説かれているが、単に女性が「陰」で、男性が「陽」というわけではなく、時には男性が「陰」の役割を担い、時には女性が「陽」の役割を担うこともあるだろう。

人との関係性以外にも、自分自身の心の中にも、モーターの役割を担う心と、アンカーの役割を担う心があるだろう。もしも、自分自身の中にある「セルフ1」と「セルフ2」の心を互いに認め合うことができれば、心も豊かになれるが、認め合わないと自己矛盾が生じて、心身相関的にバランスが悪くなる。

普通列車は、先頭の動力車が残りの付随車を引っ張っているが、スピードの速い新幹線は、複数の動力車両で構成されている。チームや組織に動力型の人材が集まれば、遠心力が高まり、様々な活動が活性化されるだろう。しかし、動力となるモーターばかりが集まればいいというものではない。時には手を引っ張ったり、足を引っ張られたりすることも奥深い人間関係を創る上で、大切な学びとなることもある。

人生は、多かれ少なかれ、「陰」と「陽」のバランスでできており、物事が順調に進む場合と進まない場合がある。「人間万事塞翁が馬」ということわざがあるように、そのことが幸福になるとも限らないし、逆に災いになるとも限らない。

ただ、そのような全体のバランスを考えずに、何事につけ、自分が被害者になるように、あるいは、相手を加害者にさせるように、想像力をネガティブに膨らませる人もいる。このような想像力を被害妄想というが、実に上手に自分を被害者へとつなげてしまう人がいる。

基本的に大人は、自分の人生は、自分で責任を持たなければならないが、自分の言動や行動を誰かに相談、あるいはアドバイスを求め、もしも、そのアドバイスが上手くいかなければ、相談者を選んだ自分の責任は棚に置いて、アドバイスを与えた人に責任を転化してしまう傾向のある人もいる。

もしかすると、このようなアンカーとなる存在の人には十分に気をつけた方がいいのかもしれない。そして、自分を被害者へとつなげるクセのある人、あるいは被害者になるための想像力に長けている人の周りには問題が色々とあるようだ。それは、「問題」ではなく、ある意味では成長のための「挑戦」すべき事柄なのかもしれないが、被害者傾向の人にとっては、大問題と受け止めることが多いようだ。

では、このような被害者へとつなげるクセのある人は、一生涯そのクセは変わらないのだろうか?その様なクセにも程度があり、大きく分けると3つのパターンに分かれるように思う。第1パターンは、「そのような自分の心のクセにはほとんど気づいてない人」、第2パターンは、「ある程度、そのクセを認識しているが、なかなか変えられない人」、そして、第3のパターンは、「そのようなクセに気づいて、変えようとしている人」の3パターンがあるようだ。

もしも、被害者へとつなげるクセで、直接的にも間接的にも身体的、あるいはメンタル的に影響を及ぼしている場合、心身条件反射療法(ニューロパターンセラピー)では、コーチングを活用しながら、そのような心のパターンを、ご自分自身が自然に認識しやすいように、幅広い角度からの質問を工夫する。

この時に、コーチが注意しなければならないのは、コーチの深読みが過ぎて、クライアントには被害者意識の傾向があると決めつけて、それに気づいてもらおうと誘導してしまう恐れもあるということである。あくまでも幅広い質問を通じて、クライアント自身が自分で、自分のパターンに気づくことが大切である。

心身条件反射療法(ニューロパターンセラピー)やコーチングで幅広いクライアントの施術やコーチングを担当させていただいたが、結論的にそのクセは、自分自身がしっかりと認識することで、身体的な影響やメンタル的な影響を改善させることが可能になる。

クライアントが被害者へとつなげるクセに気づいた場合、そのクセを早く変えなければならないと急ぐかもしれないが、そのクセを変えるというよりも、まずは、そのような自分を認めてあげることが先決で、そのようなクセの背後にも肯定的な意図が隠れているものである。

まずは、潜在意識の自分が好んでそのようなネガティブな想像力を膨らませていることと、その能力に優れていることを認めること。そして、今まで無意識的につなげていたネガティブな想像力を意識化することで、自分自身でコントロールできるように方向修正をすることが大切だろう。毎日の生活で起こる出来事に対して、どれだけネガティブな想像力を働かせたかを一日の反省としてチェックするのもいいかもしれない。

2011年9月15日木曜日

「ひらめき」から生まれる新たな施術法

今年は、ブレインマップの施術法、経絡の施術法など進化した施術法を紹介してきたが、引き続いて、また、新たな施術法を2つほど開発した。今まで様々な施術法を開発してきたが、その過程は、初めに発想し、臨床現場で何度も繰り返し効果を確認し、改良に改良を重ねながら、さらに他の施術者が使いやすいように、システム化していく。このようにして、実際に研究会で他の施術者に伝えるまでの過程は、数か月から数年に及ぶことがある。

新しい施術法の開発は、最初の「ひらめき」から始まるが、全ての「ひらめき」が効果のある施術法の開発につながるというわけではない。これは、いい施術法になるだろうと予測しても、実際に臨床で試しても効果がない場合も多々ある。

有名なエジソンは、電球を発明するまで一万回失敗したが、そのことを失敗とは言わなかったらしい。エジソン曰く、「失敗ではない。うまくいかない方法を一万通り発見しただけだ」とのこと。

一般的には、「失敗」という否定的な側面に目を向ける傾向があるが、それを上手くいかない方法を発見したという肯定的な側面に目を向ける人は少ないだろう。大きな発見をする過程において、上手くいかなかった経験がたくさんあればあるほど、学びの深い価値のある発見につながることが多いということはとてもうなずける。

また、アメリカ第26代大統領のルーズベルトは、「間違いを犯さないのは何もしない人だけだ」と言ったという。言い換えると、何か役立つモノを生み出すために、失敗を恐れず繰り返し行動をし続けた人が、間違いを犯したり、失敗したりすることは、価値ある過ちであり、価値ある失敗であるともいえるだろう。

最初から間違いを犯そうとか、失敗しようとして行動を起こす人はほとんどいないだろう。何か価値あるモノを創りだそうとして、失敗してしまうことがほとんどではなかろうか?人間はこの地球に何か価値あるモノを残すために生まれてきたという前提にたつとすれば、間違いや失敗を恐れず挑戦し続けることが、生きることの意味につながるのではないかと思う。

私も様々な施術法を教える立場に立たせてもらっているが、永年、施術法を研究する過程で、以前の手法がほとんど使われなくなることもある。もしかすると、参加者の中にはそれは失敗だったと捉える方がいるかもしれない。そして、そこから進化した現在の施術内容の方が数段進化しており、過去に学んだ参加者よりも今の最新情報を学んだ参加者の方が得をしていると考えるかもしれない。

しかし、過去の学びがあるからこそ、現在の学びが深まるのであって、過去の学習は決して無駄ではなく、とても貴重な学習になっているはずである。そう私は考えているが、表面的に役立つ手法だけを学ぼうと考えている受講者にとっては、恐らくその学習は失敗でしかないのかもしれない。
時々、「どのようにして、そのような施術法が開発されたのですか?」という質問を受けることがある。私は、「朝、シャワーを浴びている時などに、ふとひらめくことが多い」と答えたりするが、恐らく脳は、無意識下の深いレベルで、常にそれを探し求めているのだと思う。

しかし、その「ひらめき」が生じる前提条件として、「純粋な心」で求めてないと、不純な動機ではひらめかないような気もするし、たとえひらめいても効果がないように感じる。眉つば的に聞こえるかもしれないが「純粋な心」になっていると、もしかしたら、神、仏、宇宙、誰かわからないハイヤーセルフ的な存在が教えてくれているのかもしれない、とふと思ったりもする。

今年は、PCRT(ニューロパターンセラピー)の研究会のベイシック1でご紹介した進化したブレインマップ、ベイシック2で紹介した経絡治療、そして、これからご紹介するセルフイメージ施術法の改定版と、ブレインマップを応用した「持続圧」による施術法を、立て続けに開発できた。

今年のPCRT研究会のベイシック1と2でご紹介したブレインマップと経絡治療は、他の治療者からもいい評価を頂いている。

10月のアドバンス1、12月のアドバンス2でご紹介する内容も多いので、新たな施術法を組み込むことが難しく迷うところでもあるが、バランスよくプログラムを組み込んでご紹介できればと考えている。

恐らく今までにない画期的な施術法だと感じてくれる参加者が多いのではないかと思う。

2011年9月10日土曜日

「幸福」とは、変化によって左右される瞬間的な感覚である

第82号 2011年9月10日(土)「幸福」とは、変化によって左右される瞬間的な感覚である
先日、遠隔治療を希望される患者さんからお電話をいただいた。主訴は昨晩より、発熱、首や腰、その他全体的に調子が悪くなったとのことだった。

「何か思い当たる原因は無いですか?」とお尋ねすると、昨晩、ご主人と今後のことについて話された際「色々な努力をしてきても、この先どうなるのか分からない」という不安や恐れの感情が湧いてきたとのこと。それが影響を及ぼしているのではないか?ということで、コーチングと遠隔治療を行った。遠隔治療後に症状がやや改善したことで、やはりそのことが影響していたということが分かった。

東北大震災や積み重なる自然災害、さらには世の中の変化のスピードが速くなり、恐らく、ご主人の職場での立場や環境もめまぐるしく変化し、安定感が感じられないというのも一つの要因になっていた様子。大震災後、多くの人達が「幸福」とは何かについて考え、それぞれの「幸せ」に対する価値観が大きく変化したのではなかろうか?大震災では、一瞬にして家も仕事も、そして家族も失うという悲劇が襲いかかってしまった。

もしも、自分にもその悲劇が襲いかかったとしたら、自分はその変化に耐えられるだろうかと想像する人も少なくはないだろう。頭では「もしもの悲劇」に対して覚悟を決めているつもりでも、いざそのような現実が襲いかかると、人間は本能的にどのように感じ、どのような行動をするかその時になってみないとわからない。

「怖れ」や「不安」を感じるのは、先が見えないことで怖くなることが多い。例えば、暗闇を歩きなさいと言われると、恐怖を感じるが、その暗闇にスポットライトが当たって、どこを歩くのかが見えると、恐怖感は少なくなる。何が起こるかわからない未来を、ある程度、想定する、予測するということは、「怖れ」や「不安」を軽減してくれる。

また、変化することに抵抗がある人も少なくはないと思われるが、変化という「ストレス」は、人間にとって大切な刺激になる。さまざまな「変化」には、自然環境の変化もあれば、人間関係の変化もあり、人間はその変化に適応しながら活かされ、その変化という「刺激」によってバランスが保たれている。例えば、人間関係でいえば、常に同じ人と接して、互いの期待度が高くなると、バランスが悪くなり、マイナス面なども目につきやすくなり関係性のバランスが悪くなりやすい傾向がある。

だから、ある程度の距離感を保つことが人間関係のバランスを保つ秘訣であると、賢人たちは教えてくれている。それは、たとえ夫婦や兄弟であっても、互いに適度な距離感や礼節を重んじていないと問題も生じやすくなる。ご主人が退職して、いつも家にいるようになって、関係性が悪くなったということはよく聞く話でもある。

人間にとって何かを失うということは、辛いことであり、特に肉親を失うということは耐えがたいことだろう。しかし、その一方で、何かを失うことで得るものがあるということも事実である。それは、それぞれの感じ方によって様々であるが、「幸せ度」が高い人は、多くの場合、その感じ方に違いがあるようで、経済的、あるいは物質的な何かに恵まれているというわけではないだろう。もしも、経済的、物質的に恵まれて「幸せ度」が高くなるとすれば、それは一定の時期に限られるだろう。

例えば、美味しい物を食べて、幸せを感じるのは、どれくらいの時間だろうか?毎日、同じ美味しい物を食べるとなると、その幸せ度はどのくらい維持できるだろうか?家族旅行で楽しいひと時を過ごしてその幸せを感じるのは、どれくらいの期間だろうか?毎週、同じ場所に家族旅行に出かけた場合、その幸せ度はどれくらい維持できるだろうか?

あるいは、大きな買い物となる車、あるいは家を購入して幸せを感じるのはどれくらいの期間だろうか?5年後もその幸せ度は維持できているだろうか?立派な家を購入しても、家族関係が悪くなれば、その幸せ度はどこかへ行ってしまうかもしれない。もしかすると、立派な家を購入するしないで、関係性が悪くなったということもあるかもしれない。狭い部屋で家族が寄り添っていた方が良かったということもあるかもしれない。

もしも、家族と一緒に過ごす時間が少ないことが不幸せと感じる場合、どれくらいの時間が必要なのだろうか?少しの時間だからこそ幸せ度が高まるのであって、おそらくずっと一緒に居ると色々な不平や不満がでてくることが多くなるのではなかろうか?

「幸福」を感じるためには、感じ方に工夫が必要であるということ。また、何かを得ることだけが幸福なのではなく、そのプロセスに目を向けることで幸福度が高まるということ。つまり、幸福をつかむために、家を買ったり、結婚をしたり、子供を授かったりということが一般的ではあるが、その後の感じ方次第で、そのことが不幸の元にもなりえるということも想定内にしておく必要があるだろう。

また、多くの場合、何かを得た時にひと時の幸福を感じるが、何かを得ようとして、夢中になっている時や、様々な変化に遭遇するそのプロセスにおいて、充実感、充足感を感じる。そして、そのプロセスにおいてその変化度や難易度が高ければ高いほど幸せ度も高くなるのではなかろうか。

一般的に「安定=変化がない=幸福」かのように捉えがちになるが、変化のない状態程、秩序が乱れるということは、物理学の世界でも証明されている。変化にも許容範囲というものがあるかもしれないが、「ゆでガエルの話」のように、ぬるま湯につかり過ぎると、気づかないうちに不幸な状態になってしまうということもあり得るだろう。

変化を恐れず、変化は幸せや成長への「スパイス」として捉えると、変化に対する柔軟性や適応力も増してくるだろう。また、今、不幸のどん底と感じている場合、その状態がずっと継続し、悪化するという負のシナリオができやすい。しかし、「ほんとうにこの状態が何も変わらずに継続するのだろうか?」と自分に問いかけることで、そのパターンを切り替えるきっかけになるかもしれない。

「幸福」とは、変化によって左右される瞬間的な感覚である。さて、あなたは、一日のうちにどれだけ「幸福」な瞬間を創りだすことができているだろうか?それは、心から「ありがとう」と思える「感謝の心」と密接な関係があるだろう。

2011年9月7日水曜日

「セルフイメージ」の 検査、施術の臨床研究 PCRT研究会

前回、ご紹介した「セルフイメージ」の検査法や施術法が進化して、昨年度よりもさらに改善され治療効果が上がっている。その「セルフイメージ」が顕著に影響を及ぼしていた患者さんをご紹介する。

今日で5回目の施術になるが、経過は良好で、順調に改善している。

その患者さんは、来院時の問診表には、1年半以上も前から右下肢の痛みが強く、横になっている以外は痛みがあるので日常生活全般に支障をきたしているとのこと。最初に病院を受診し、MRI、CT等の検査を行い、坐骨神経痛、不安定症の診断を受け、神経ブロック、投薬、リハビリ(筋力トレーニング)を受ける。その病院では週に一回、半年間通院。その3カ月後、別の病院にて手術。しかし、症状が改善されないまま当院を受診。

初回と2回目の施術にて下肢伸展検査での疼痛がほぼ消失。毎日装着していたコルセットも外すように指導。3回目の来院時の検査では、動きの検査などでは痛みの再現は見られないが、寝ている姿勢から動き出す姿勢、家事全般の動作や歩く姿勢など動作全般のセルフイメージで反応を示す。そして、セルフイメージによる施術を行い異常反応が消失する。

4回目の来院では、セルフイメージをしたままで、過去の疼痛部位に持続圧を加えると反応を示すので、施術を行う。そして、本日5回目の来院では、動作に関連したセルフイメージの反応はぼほ消失。

患者さんによると、毎日出かける時などは痛みが強くなると困るので薬を飲んでおり、その場面で影響を受けているかもしれないとのことで、その場面でのセルフイメージの検査をすると反応を示す。そして、そのセルフイメージの施術を行う。

もしも、このような「セルフイメージ」の検査、治療法がなければ、来院時の検査では痛みが再現されないし、神経反射的な検査でも異常反応がでないのに、なぜ患者さんは痛みを訴えているのだろうと悩まされるところだったが、現在ではこの「セルフイメージ」の検査法があるので、患者さんの訴えと検査反応がほぼ一致する。よって、患者さんの訴えもよく理解でき、信頼関係を保ちながら安心して施術ができる。

この「セルフイメージ」の施術法は臨床上とても大きな役割を担うので、次回の心身条件反射療法研究会のときに、この進化し改良された「セルフイメージ」の検査、施術法を受講される先生方にご紹介させていただき、多くの患者さんに喜んでいただければと願っている。