2011年10月23日日曜日

「期待」と「判断」と「被害意識」の関係

人が意識的にも無意識的にも「ストレス」を感じる場合、「被害意識」につながっていることが多々あります。人は様々な場面、あるいは人間関係において、相手に期待し、判断して、その結果「被害意識」が生じます。その時、その期待や判断は当然のことであり、それが、「真実」であるかのように考えて、相手に対して「~すべき」あるいは「~すべきではない」という“べき論”が入り込み、さらには「正しい」「正しくない」などの「判断」をします。多くの場合、その判断は、自分の脳のフィルターを通して、多少なりともその事実を歪曲させて出力した判断となります。

例えば、一人の同僚が、機嫌良く働いていました。周りの同僚はその同僚の変化の様子を見て様々な判断をします。

一人目の同僚は、「昨日までは不機嫌だったくせに、急にご機嫌になったりして理解できない」と否定的に判断します。二人目の同僚は、「何か前向きになれるきっかけがあったのだ」と肯定的に判断します。三人目の同僚は、「機嫌のいい時もあれば、悪い時もある」と肯定も否定もせずにニュートラルに判断します。

このように、事実は同じでも、人の脳のフィルターが異なるとその事実が歪曲されて、さまざまな判断に出力されます。しかし、多くの場合、自分の判断が正しく、それがあたかも事実であるかのように錯覚しがちです。

人や組織、社会、国、などに対して「被害意識(ストレス)」を感じている場合、多くの場合、その対象に対して何らかの期待感が存在します。そして、その期待感は、「~すべき」「~すべきではない」、あるいは「正しい」「正しくない」などの自分の価値判断につながる傾向があります。

例え、人や組織に対して何も期待していないと考えていても、その対象に関係することで被害意識、あるいはストレスを感じる場合、その人の言動や行動に対して、「○○のように言ってほしくない」、あるいは「○○のような行動はとってほしくない」などの「期待」が存在しているはずです。そして、さらにそれは「○○の理由だから」という自分の考えを正当化する「判断」がそこに加わります。
多くのパターンは、「期待」→「判断」→「被害意識」という負のサイクルを創りだし、メンタル的にも身体的にも自分を苦しめるサイクルになりがちです。そして、多くの場合、その対象となる人や環境が変わらなければ、この負のサイクルからは抜け出せないと思い込んでしまいます。

人は、多かれ少なかれこの負のサイクルにハマって苦しみやいらだちを経験してきているはずです。このような負のサイクルにハマっている場合、このサイクルから抜け出すためにはどうしたらいいのでしょうか?

私の臨床経験からいえることは、ご本人がこのサイクルにハマっているということをしっかりと認識し、そこから抜け出したいと心の底から願っている場合は、ご自身の気づきによって抜け出すことは可能です。

負のサイクルから抜け出す方法として、紙に書き出す事が非常に有効です。下記にその手順を記します。

★この手順を行う際、自分は、期待もしていないし、判断もしていないし、被害意識もないというような心 やさしい人格者になろうとしないでください。人である以上、ネガティブな側面は誰でも存在します。そのネガティブを認識できることで、次の成長へと進んでいくことができます。

★全体的には、「期待」→「判断」→「被害意識(ストレス)」という負のサイクルをしっかりと認識するためにこの手順を行います。

★具体的には、「期待」と「判断」と「被害意識」の詳細を明確にします。

1. 最初は「期待」についてです。相手や組織への期待度の理想を100%として、実際に、その相手はその期待に何パーセント答えてくれているのか?紙に○○%と書き出します。
2. そして、逆の立場に立って、相手や組織があなたに期待する理想を100%として、実際にあなたはその期待に何パーセント答えているのか?それも紙に○○%と書き出します。このとき、できるだけ第三者的な立場に立って、判断することが大切です。
3. 次は「判断」です。その期待通りになっていないことに対して、あなたは、具体的にどのように判断しているかを列記します。
4. その判断は、真実なのか?絶対に自分の判断が正しいと言い切れるのか?を考えます。
5. 最後に、「被害意識」について、具体的に相手との関係でどのような「感情」が湧きあがってくるのかを列記します。

この5つの段階を進める際には、単に心の中で思うのではなく、具体的に紙に書き出すことが重要です。

これは、理屈で考えるのではなく、思いつくまま書きだすという行動が大事で、その行動が脳を刺激します。そして、その刺激は、負のサイクルから抜け出す新たな神経回路を創りだすきっかけになります。新たな脳への刺激が、深く、幅が広ければ広い程、その効果は高まります。負のサイクルから抜け出すプロセスは、相手や環境を変える方法ではなく、あなたの「気づき」の中にあります。では、頭の体操だと思って、お気軽にお試しください。

2011年10月22日土曜日

「個人は質素に、社会は豊かに」 

先日、土光敏夫さんのことが紹介された新刊「清貧と復興 土光敏夫100の言葉」 出町譲 (著)を購入して読んでみた。

もう15年以上も前になるが、父が数十年前に購入していた1970年出版の「経営の行動指針」という土光敏夫さんの本を読んだことがあった。当時は、開業当初で、「経営のことも何か勉強しなければならないな・・・」という感じで、経営のことなどほとんどわからなかった。しかし、土光さんの本を読んでなぜか心に響くモノがあった。

特に「個人は質素に、社会は豊かに」という土光さんのお母様が残した言葉には感銘を受け、その言葉を筆でキャンバスの布に書いて、額縁にいれ、治療院に飾っていた時期があった。そして、その言葉の影響を受けて、「分相応に個人は質素な生活を心がけ、人々を豊かにせよ。」という言葉を創り、弊社の社訓の一つに加えさせていただき、未来のための指針にしている。

まだまだ、その言葉には近付けていないが、その言葉は確かに指針となっており、方向性を見失わないような羅針盤の役目を担ってくれている。

独身時代、収入も増えて、今よりも税金をたくさん払っていた時期があった。どうせ税金で払うのだからと、海外研修でビジネスクラスの座席を使ったことがある。土光さんには「そんな贅沢は必要ない」としかられるかもしれない。

飛行機での海外研修も最初のうちは、少しワクワク感を感じていたが、飛行機に乗る回数も増えてくるとそれに慣れてきてネガティブな感情が湧いてきた。恐らく、ビジネスクラスとファーストクラスとの比較が入り、その格差に不満、あるいは嫉妬心を抱いていたのかもしれない。そのようなネガティブな感情も重なって、ビジネスクラスに乗ってみた。

その時、ビジネスクラスを楽しむというよりも、ビジネスクラスに乗る乗客の人達を空港のラウンジでよく観察していたのを覚えている。どのような人達なのだろうか?お金にはゆとりがあるのだろうな~・・・ゆとりもないのに見栄をはっているのだろうか・・・どんな職業なのだろうか・・・など色々と想像を膨らませた。

それはそれで楽しい妄想だったが、なぜか自分にはしっくりこなかった。というよりも自分はビジネスクラスのタイプではないと感じたのかもしれない。

それ以来、ビジネスクラスにはご縁がなくなった。

現在では飛行機が海外を飛び回っている時代だが、飛行機が飛び始めた当時では、エコノミークラスの座席はとても贅沢な座席だったに違いない。

今では豊かになり、他との比較対象があるが故に、エコノミークラスの座席は贅沢ではなくなった。しかし、それはその人の心の持ち方で、豊かな気持にもなれはずだと、最近ではエコノミークラスを楽しんでいる。

質素な生活の中にこそ本当の豊かさが隠されているのかもしれない・・・

2011年10月20日木曜日

PCRT Advance1の 研究会を終えて・・・

毎度のことであるが、今回もボリュームが多すぎて、消化不良を起こされている先生方も少なくはなかったようだ。ただ、継続的に参加されている先生方は、着実にスキルアップされている様子が伺えた。『継続は力なり』ということを、理屈ではなく肌で感じることができた。

通常では、ハード面の施術法はベイシックで紹介するが、今回は特別に、「持続圧振動法」という新しいハード面の施術法をご紹介させていただいた。アクティベータメソッドやブレインマップでもハード面の施術効果は十分に得られるが、その検査法とは異なる受容器を見る検査法になる。技術的には難しい手法ではないが、コンセプトとしては、新しい概念なので、一日目は、受講者にとって戸惑いがあった様子。実際に施術を受けて体感してはじめて、その価値を理解できた人も少なくはなかったようだ。

今回初めてこの「持続圧振動法」を紹介して、従来のコンセプトとは異なる理論的背景の伝え方や説明の仕方のポイントも見えてきた。自分自身が開発した施術法なので、テキストを作り、プレゼンをするまでは、伝える側と受講する側とのギャップがどこにあるのかが分からない。プレゼンをして、受講者からの質問を受けて初めて、何をどう伝えなくてはならないかの盲点が見えてくる。

また、臨床各論では、アレルギー、メンタル領域、小児や動物の代理検査、婦人科系などを予定しているが、ボリュームが多すぎるので、来年度からは2年間のスパンでアドバンスのプログラムを終えるようにゆとりを持たせて、消化不良が生じないように工夫してみたいと考えている。

実技指導をしていて気にかかるのが、神経反射検査が安定していない先生と、認定を維持するために年に一回だけ受講する傾向のある先生方だ。一応検査の形はできているが、本当の神経反射を読み取ることができているかが気がかりだった。

神経反射検査がしっかりとできているかどうかの判断は、繰り返し確認しなければ判断しがたいところがある。自分は神経反射を読み取れているレベルではないと自覚して、研究会に毎回参加して努力を重ねている先生はマスターすることができると思うが、本当はできていないのに、自己判断でできていると思い込んで改善しようとしないのはとてもデメリットのように思う。

やはり、神経反射検査ができているかどうかの判断基準は明確にしなければならないのではないかと考えている。第三者が評価することで、自信が持てない先生も持てるようになるし、自信過剰の先生も改めて修正することができるだろう。

将来、神経反射検査の実技試験制度などを設けて、検査で本当に異常反射を読み取れているかどうかを審査する第三者審査委員会のような機関を作り、そこで認定書を発行できるようになれば、本質的なレベルアップにつながるだろう。それは、認定者に自信と信用を与え、その基本レベルから着実に進化し、患者さんへの貢献度のアップにつながることが予測できる。

恐らく、この神経反射検査が信頼できるレベルであるかどうかは、直接的な治療効果につながる。治療効果を上げるためにもこの基準は最低限のレベルといってもいいだろう。言い換えれば、この最低限のレベルに達していないにも関わらず、その先にある様々な施術法や理論を学ぶのは、せっかくの知識を生かすことができずに「猫に小判」ということになるのかもしれない。

これはとても難しい課題になるだろう。様々な人の意見を参考にしながら進めていきたい。

2011年10月3日月曜日

「目標設定」と「流れに身を任せる」 

先日、健康教室の時間に、「目標設定する」ことと、目標など設定せずに、「流れに身を任せる」という二通りの生き方について考えてみました。人生をより良くしたいという共通した目的を基準にすると、どちらの生き方にもそれぞれにメリットとデメリットがあり、人それぞれに様々な考え方があるようでした。

「目標設定」と「流れに身を任せる」という一見して対極的な方法論のようですが、どちらの方法が正しいとか正しくないとかではなく、どの手法を使えば、自分らしくより豊かに生きていくことができるのかということを考えてみることが大切だと思います。

そして、その手法は、二者択一的にどちらか一方を選択しなければならないという訳ではなく、その時々の人生の波や時代の流れに応じて両方の手法を使い分けることも必要なのかもしれません。
云うならば、「目標設定」を行いながら生きていく手法は、「論語」の教えに通じた生き方で、目標設定の過程において、様々な壁にぶつかりながら人は成長し、人間形成を営むことに価値をおいていると云えるでしょう。その一方で、「流れに身を任せる」生き方は、老子・荘子の「老荘思想」に通じて、「ありのままを受けいれる」ような生き方といえるかもしれません。

「論語」と「老子」の幅広く深い教えの中で、類似した教えがあります。「過ぎたるは及ばざるが如し」という孔子の教えと、「足るを知る者は富む」という老子の教えです。どちらの教えも「充足感」の上手な感じ方に気づかされるような言葉ですが、論語的な「目標設定」も老子的な「流れに身を任せる」という生き方も共通して大切なのは「充実感」や「充足感」なのかもしれません。

自分らしくより豊かに生きる基準は、人それぞれの価値観によっても様々です。ある人は、経済的に豊かになること、あるいは、社会的な地位を確立することで人生の豊かさを感じるかもしれません。その一方で、お金、地位、名誉に関わらず、自分の好きな仕事に打ち込んで、日々の「充足感」を感じることで、人生の豊かさを感じるかもしれません。それは、時代の流れと共に人々の価値観が変化するように、「豊かさ」や「充足感」に対する価値観も成長に伴って変化するのでしょう。

書店では「成功」のための指南書として様々な自己啓発本が販売され、どのように目標設定すれば、自分の欲しいモノが早く手に入るのかを解説しています。それは、問題を解決するために役立つかもしれませんし、さらなる理想に挑戦することに役立つかもしれません。しかし、「流れに身を任せる」という生き方を選択した人にとっては、あまり意味のない書物なのかもしれません。

ファミリーカイロには、身体的な症状や、メンタル的な症状の改善のために多くの方が来院されます。数年前より、コーチングの導入によって、症状や問題の解決というよりも、さらなる「理想」や「可能性」に挑戦するために利用して下さる方もだんだんと増えてきました。

多くの場合、最初は症状やメンタル的な改善のための施術を行いますが、施術の過程において、直感的にこのクライアントさんは、現在の身体的、あるいはメンタル的な症状に焦点をあてるよりも、未来の目標設定をされた方が、日常の充実感や満足度が高まり、その結果として慢性的な症状や問題も改善するだろうと感じることがあります。

そのような場合には、クライアントさんへ、コーチングを提案させていただきます。その提案をクライアントさんが快く選択していただくことができると、より良い方向へと向かうことが多々あります。そして、最初に訴えていた症状や問題は枝葉に過ぎなかったということが、コーチングを受けた後に明らかになってくることが多いようです。

目標を言葉に出さなくても、無意識的に向かうべき目標を目指して淡々と生きている人もいます。その一方で、明確な目標があっても、もう一人の自分がブレーキを掛けて、身体的にもメンタル的にも様々な症状を引き起こしている人もいます。

もしも、現在の自分に満足できていない場合、あるいは、原因不明の身体的な症状がある場合、頭で考えている自分と身体で感じている潜在的な自分との不一致が疑われます。その場合は、本当に自分はどこへ向かっていきたいのかを整理して、もう一人の自分と対話をし、お互いが納得できる方向へと軌道修正することが必要です。そのよう場合はコーチングがとても役立ちます。

コーチングは、日本では、まだまだスポーツコーチのイメージが強く、厳しく指導されるのではないかという印象があるようです。しかし、コーチングは、現在の状況を整理し、クライアントさんが本当に向かいたい方向を二人三脚で探し、それを支援する役割を担います。

よって、コーチは提案をすることがあっても、指導するという立場は取りません。また、その提案も選択するのはクライアントさんで、クライアントさんが自分の意志で選択し、自分が選んだ選択に伴う行動や結果に責任を持つことがとても重要になります。

コーチングは、クライアントさんが「これを改善したい」あるいは「このような理想に近づきたい」という希望がなければ始まりませんが、その目標設定の過程で、時の変化に上手に適応するために「流れに身を任せる」ことも、重要な考え方の一つになることも多々あります。

「目標設定」も「流れに身を任せる」という生き方も、どちらも大切な方法論ですが、もしも、人間が、何かの役に立つために生まれ、そのために成長する使命があるという前提にたてば、ゴールを決めて歩んでいくことは、人生での「豊かさ」や「充足感」を得るためには大切なことなのかもしれません。私は、今はそのように感じていますが、時代の流れや年齢とともにその考え方も変わるのかもしれません。