2016年11月15日火曜日

「技術論」が「イップス」を招く背景

イップスに陥る一つの原因として、「技術論」に頼り過ぎてしまうという場合があります。しかし、最近ではイップスを改善するために「技術論」で治そうと説明している情報をネットで目にすることがあります。また、指導者が細かな技術指導をすることで、イップスの原因の一つになることもあります。理屈で「これが正しいやり方だ」という「技術論」は、時代とともに変化し、特に個人によって様々です。例えば野球の投球で技術を優先して投げようとすると、神経系の命令が身体の一部分にかたより、全体としての筋肉の調和が乱れコントロールが悪くなったり、自分自身への判断や評価のための意識が入りすぎて、心と身体の不調和を生じさせたりましす。

「技術論」の指導を受ける場合、特に一流選手のフォームや経験者が自分の体験を参考に指導する場合が多いのではないでしょうか。その指導は、一流選手や自分の経験に基づく成功体験という意味では「理」にかなっているかのように思えます。しかしながら、その技法の教えを受ける本人にとって、その技法が合っているかどうか、あるいは、本人の身体能力にあっているかどうかは別問題です。あくまでも、一流選手自身が「こうしたら、いい感じだった」という体験に過ぎないのです。

野球に限らず、あらゆるスポーツの源流をたどると、最初から「技術論」があったわけではありません。まずは「目的論」が先にあったはずです。例えば、野球で言えば、「バッターに打たれないための投球法」が第一の目的で、そのためには「早く投げるための投球法」、アウトコースやインコースギリギリなど「自由自在にコントロールできる投球法」が第二、第三の目的になるでしょう。極端な言い方をすれば、それらの目的がかなえば、どんな投げ方でもいいわけです。

おそらく、野球が始まった源流では、それらの「目的論」に応じた投げ方があり、自分に合った投げ方を自分なりに工夫して投げていると、「こんな感じで投げたらいい」とある共通した投げ方になってきたという経緯はあるでしょう。しかし、人の顔や体型がそれぞれに異なるように、厳密には投手によって投げ方がそれぞれに異なります。なのに「技術論」がいかにも大切かのように語られる風潮があるようで、それに伴ってイップスに悩まされる選手も増えてきているかのように感じます。

「技術論」がよくないといっているのではなく、自分に合った技術を自分なりの経験で紡ぎ出していくことが大切だということです。「目的」のない「技術」は役に立たないどころか、弊害になるといえるでしょう。例えば、早く投げるためにはどのようすれば良いか?それは、自分なりに実際に投げてみて投げ方を色々試さないと見つけられないでしょう。何のために投げているかの目的を明確にして、その一点に集中すれば、身体は自ずと理想の投球フォームを創ってくれるという「自然習得」の能力を促進させることに目を向けること、並びに自分自身の身体能力に信頼を寄せることが大切でしょう。

「自然習得法」の主な原動力になるのは、頭で考える「意識」ではなく、身体を自動的に動かす「無意識」にあります。多くの人は、「意識」で体をすべてコントロールしているかのように考える傾向がありますが、それは、ほんの一部分であり、身体のコントロールのほとんどが「無意識」によってなされています。よって、「意識」、すなわち「理屈」でコントロールすればするほど、身体全体の機能は不調和になり、コントロール不能になるわけです。

例えば、指の第二指の第一関節、第二関節、第三関節をボールが握れる角度に曲げるように「意識」で指示するとすぐにできます。次に第一指から第五指まで、それぞれにボールが握れる角度に曲げるように「意識」で指示すると、ぎこちなく感じるでしょう。それよりもボールを手でキャチするという「目的」の全体動作を「意識」すると、指の角度を意識しなくても、自動的に「無意識」にボールを握れる角度に自然になっているはずです。

このように身体の動作のほとんどが「無意識」にコントロールされているという原則に従うことが必要で、「意識」でコントロールしようとすればするほど、ぎこちなくなりイップスのような症状を引き起こしやすくなるのです。イップスにならないため、あるいは克服するために、まずは、意識的に「目的」に集中し、後の身体の動きは「無意識」にまかせるという「自然習得型」を体得していくことが大切です。

私たちはもっともらしい技術の理論や概念を信じやすく、もしも、その技術理論でうまくプレーができると、それは、技術理論のお陰だとなり、技術論の信者となります。そして、もしも、うまくできなければ、その理論通りに行っていない自分が悪いのだからと、自分を責めて悪循環に陥る傾向があります。しかし、全てに効果がある万能な技術理論というものはなく、自分が体験的に自然に習得した技術が自分にとってはベストであるということだと思います。

技術や理論をどう活用するかを考える前に、原則的には「体験」が「技術理論」を上回るという事実を認識することがとても大切です。人には生まれつき、「自然に習得する」という能力が備わっているということを信じてほしいし、それを最大限に活かしてほしいと思います。


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