2017年1月23日月曜日

後頭部神経痛の遠隔治療の“ひとコマ”

後頭部神経痛の遠隔治療の“ひとコマ”

以前通院されていた患者さんが、遠方なので遠隔治療を希望。一週間ほど前から後頭部に痛みが生じたとのこと。後頭部痛は三分間置きぐらいに断続的にあるらしい。病院も受診されて、後頭部神経痛の診断を受ける。原因は何かと医師にたずねたところ、何かのストレスでしょうね・・・といわれたという。

遠隔治療:

電話を通じて、患者さんに痛みの部位を想像してもらい、PCRTの検査で、痛みに関係する無意識レベルの「誤作動記憶」を検査。

大脳辺縁系→感情→喜びというキーワードが陽性反応として示された。

「喜び」の感情に関係する何か思い当たることはありますか?と尋ねると、「そんなに嬉しくないのだけれども、周りの人から色々と期待されて、誘ってもらえることかな?・・・でも、仕事も忙しいし・・・誘われて嬉しいけどそんな時間もないし・・・」

そこで、「そのような自己矛盾に関係するような喜びが自分の心の中にあることを認識できますか」と提案すると、理解できるということなので、それを認識してながら自己療法をしてもらった。

患者さんの最初の症状のイメージに戻ってもらい、再検査を行うと、再度、陽性反応が示された。

次は、大脳辺縁系→信念→羞恥心というキーワードで陽性反応が示された。

「何かこのキーワードで何か思い当たることはありますか?」と尋ねたところ

「・・・もしかすると、今度、本を出版したのでそのことに関してかもしれない・・・」

会話中にフィンガーテストを行うと反応を示すので「いまの会話で反応が示されるので、そのことで自分自身を恥じるとか、恥ずかしいという思うことにつながりますか?」と尋ねたところ、

「・・・うん、何となくつながるような気がする・・・」

保井:「そのような感覚が心のどこかにあるということは、自分を恥じるという前提に、〇〇はよくないとか、〇〇であるべきという信念(思い込み)があることが多いのですが、何か思い当たることはありますか?」

「・・・あ〜もしかして、本を売って儲けるのはよくないという気持ちがどこかにあるかもしれない・・・いや、あるある・・・といいつつもお金に執着している自分もいるというのも分かっているんですよね・・・」

保井:「それでは、そのような無意識の心の構造を理解した上で、そのことが体に影響を及ぼさないように自己療法を行ってみましょうか」

患者さんは、私と一緒に電話の向こうで自己療法を行う。羞恥心のキーワード、症状のイメージとフィードバックして陽性反応を検査すると、全て陰性へと転じた。

本症例の患者さんは、以前から当院で行うPCRTの治療に理解が深く、様々な症状も改善されている経験がある。今回も患者さん自身がPCRTの遠隔検査で示されたキーワードに対して、積極的に自分の無意識を探索されているので、
今回の症状もすぐに改善されるだろうと思う。



2017年1月20日金曜日

車に乗ると必ず腰が痛くなる。→その原因は「意味記憶」にあった。

車に乗ると必ず腰が痛くなる。→その原因は「意味記憶」にあった。

ある患者さんが、仕事で使う車に乗ると腰が必ず痛くなるという。来院された際に、腰痛に関係する理学的な検査をしても陽性反応が示されない。しかし、その車に乗って腰痛がある状況を想像してみると、生体反応検査では陽性反応が示される。

ということは、腰痛を引き起こす「誤作動記憶」があるということが疑われる。PCRTの検査チャートを使って検査を進めていくと、大脳皮質系の「意味記憶」で反応が示された。

患者さんに、
「この反応は、思い込みによる影響なのですが、ご自分なりに考えている腰痛を引き起こす原因や理由で、何か思い当たることはありませんか?」と、質問させていただいところ、 
  •   「その車のシートが傾いているから、骨盤が歪む・・・」
  •  「オートマチック車は、右足しか使わないから、骨盤が歪む・・・」
  •   「車の運転で腰を動かさないから、腰に良くない・・・」


というような腰痛につながる「意味記憶」が陽性反応として示された。

それらの意味づけを、

  •  「人間の身体はそもそも左右不均等が自然で、多少の傾きや偏りには対応できる能力が備わっている」


という新たな意味づけで調整を行うと。それ以来、車に乗った際の腰痛はすっかり改善された。

車のシートが傾いている、あるいは片方の足しか使わないからなどの偏りは、多くの医療従事者でさえもが腰痛の原因にしそうな意味づけであろう。その前提として、人間の身体は左右均等でなければならないという根拠のない理由がある。

私は、これを機械論の弊害だと常々語り続けてきた。機械論的な理由づけはあたかも正論かのように聞こえるので、厄介な面が多々ある。本症例のような機械論による健康被害はほんの一部であるが、このように本質を伝え続けることが大切だと思う。


2017年1月19日木曜日

後鼻漏症候群の改善


経過と考察

腰痛で通院されていた患者さんが、以前から悩まされていた後鼻漏の治療も始めて、5回ほどの施術でほぼ改善された。後鼻漏の症状は数年前から発症し、鼻炎の薬も対症療法的に常用していたらしい。後鼻漏の治療は、腰痛治療のついでにという感じだったが、最初の後鼻漏の治療で「治るかも・・・」と思えたのだろう。その後、後鼻漏の施術を継続するごとに症状が段階的に改善されていった。
様々な「誤作動記憶」が関係していたが、改善されている過程で印象に残ったのは「意味記憶」による影響だった。「意味記憶」とは一般的にいわれている「思い込み」のことである。いわゆる信念体系=ビリーフのことなのであるが、「原因と結果」に基づくビリーフが多く関係していた。
改善につながったいくつかの「意味記憶」のパターンを紹介してみよう。
例えば、

  • 「ビールを飲んだら身体が冷えるから、鼻水がでる・・・・」
  • 「寒くなった身体が冷えるから、鼻水がでる・・・・」

これらの意味付けは、飲み物や外からの影響を受けて、自動的に身体が冷えるという思い込みである。
この意味づけで問題なのは、自分の身体の自動調整機能(ホメオスタシス)を信じられていないことにある。
これを

  • 「冷たい飲みものを飲んでも自分自身の身体が自動的に温めてくれる・・・」
という新たな意味づけ(思い込み)で切り替える調整を行なった。
  • 「今年は花粉の量が多いから・・・」
というニュースからの情報にも意味記憶の反応が示されていた。
これを

  • 「今年は治療で花粉症の薬を飲んでいないし、自分の体質が変わったので・・・」
という症状とは切り離した意味づけで調整を行なった。

これらの「意味記憶」以外にも大脳辺縁系レベルでのいくつかの「信念」が関係していたが、「治らないのが当たり前」から「治るのが当たり前」と患者さん自身が自覚されていた様子が印象的だった。


後鼻漏症候群に限らず、様々なアレルギー症状が長引くと、多くの患者に「意味記憶」の反応が関係していることが多い。そのような症状が改善されない思い込みを紐解くことで、本来の自然治癒力が発揮される。

2017年1月18日水曜日

動悸、息切れ、むくみの症状(肺動脈性高血圧症【病院診断】)の改善

動悸、息切れ、むくみの症状(肺動脈性高血圧症【病院診断】)の改善

経過

当院来院の7ヶ月前に動悸、息切れ、むくみの症状で病院を受診。エコー検査、レントゲン、CT、心電図、心臓カテーテルなどの検査を受けて、肺動脈性高血圧症、貧血の診断を受ける。また、検査入院を4泊ほどしてから咳が出だしたとのこと。一年ほど前にも心肥大の診断を受けているとのこと。だんだんと歩行も困難になっており、連続の動作で症状が悪化し、動かなければ症状が軽減するらしい。病院以外にホメオパシーやサイマティックスセラピーも受けているとのこと。このような症状は初めてで、かなり疲弊していると深刻に話されていた。

肺動脈生高血圧症とは、国で難病指定されている病気である。西洋医学では原因が不明とされている。初回の来院時には、とても息苦しそうで、咳の症状に加えて、胸部周辺に様々な陽性反応が示されていた。病院では肺動脈性高血圧症を改善させるための薬が処方されていたがむくみが強く、薬の効果があるのかどうか不安になっていた。しかし、病院で処方された薬を勝手に止めることもできずに悩まれていた。

5回ほど当院に通院されたのち、思い切って薬の中止を医師に相談、副作用のある薬を中止された。その後、6回目から10回目までどんどんと回復され、PCRTでの陽性反応も最初に比べて随分と少なくなった。10回目の施術ではかなり回復されているにもかかわらず、病院の検査で難病と診断されたが故に治らない「意味記憶」が陽性反応として示されたので、意味づけを書き換える施術を行った。

最初の疲弊された様子から比べると随分と回復された様子。「今後は病気を治すという意識よりも、健康を作るという意識で、以前行なっていたヨガやウォーキングなども始めて、無理のない体力作りのゴールを決めてはどうですか?」と提案させていただいた。


考察

今回の場合、肺動脈性高血圧症の症状が機能の改善、心身相関の調整を基本にした施術法で改善されるということは、「器質的な問題」というよりも「機能的な問題」であったといえるだろう。そして、その「機能的な問題」が単に肉体内だけの問題ではなく、無意識の誤作動にも及んでいたということである。当院では他にも難病指定された改善例があるが、病院での診断は、患者に強烈に意味付けされるようだ。

「難病=治らない」というような自然治癒力を制限する自己暗示は、健康にかなり影響を及ぼすと感じる。病気の種類にもよるが、今回のようなケースでは、普通の人のような活動的な動きは一生できないかのような思い込みができていた。「ほんとうにそうなのだろうか?」という疑いの余地もないほど、意識的にも無意識的にも信じ込んでいる。

自分自身が「治る」という確信が持てなければ、なかなか自然治癒力は発揮されない。病院で治らないかのように意味づけされた患者さんには、「病院では心(無意識)と身体の関係性による「誤作動記憶」を調整する治療はしていないからこそ治る可能性があるのですよ・・・」と伝えることが多い。

私たちは専門医とは異なる目で患者を診ているので、治りにくい患者が治るのだと私は思う。


2017年1月17日火曜日

痙性斜頸(頸部ジストニア)の改善 (無意識の理解)

痙性斜頸(頸部ジストニア)の改善


経過

2ヶ月ほど前から意識とは裏腹に、自然に首が片方に傾くようになった。同時に肩こりの症状が出始めた。仕事中にパソコンを使用している時、家事をしている時、バレーボールをしている時、人と会話をしている時など、常に首が傾く症状があり、特に緊張している時は悪化し、一人でぼっーとしている時には軽減するとのこと。


病院では痙性斜頸(頸部ジストニア)と診断され、最初の病院では投薬治療、次の病院でボトックス注射を一度だけ受けた。それ以外にも整骨院でマッサージや鍼灸治療を受けている。病院でのボトックス注射で少しよくなっているように感じているとのことだが、何度もボトックス注射を受けるのは不安もあり、当院を受診。

初回の身体への生体反応検査では、頸部や上部胸椎周辺、両肩周辺の筋緊張反応や関節部に陽性反応が示された。さらに無意識の「誤作動記憶」への生体反応検査では、職場でのパソコン業務の場面、バレーボールの練習の場面に陽性反応が示され、「探究心」に関係する信念も関係していた。

2回目の施術では、大勢の人前にいる場面、人と会話する場面で陽性反応が示され、その背後に「慈悲心」や「警戒心」などの信念が関係していた。3回目、4回目と消去法のようにだんだんと症状が発現する場面が少なくなってきた様子。

5回目では、以前示されていた人に対する陽性反応は改善されていた。狭い空間や集まりで気を使って会話している時に症状が生じているとのことで、その場面に関係する「誤作動記憶」の施術を行った。「執着心」や「利己心」の背後にある「存在感」という価値観を大切にされているということが自分自身でも理解できたようで、自分が無意識に行っていた「意味づけ」を客観的に把握できた様子だった。

6回目では、前に示されていた複数の陽性反応も改善され、以前の会話の際のジストニア症状も改善されたとのこと。ある特定の人だけ症状が発現したというので、その場面で施術を進めた。前回とは少し意味合いが異なるが、「利己心」の背後にある「重要感」という価値観が一連の検査で浮かび上がった。他の人に対してはこれまでの施術で陽性反応が示されなくなっており、その特定の人だけに反応が示されるので、「その人だけに身体(無意識)が反応するということを自分なりに理解できますか?」と質問しところ、自分なりにその反応の意味が納得できた様子で、施術後にはその陽性反応はすぐに陰性反応に切り替わった。

考察


最初に来院された際、症状が発現する場面が多くて、常に斜頸が生じているような感じだったが、施術の回数を重ねるごとに、消去法のように陽性反応が消され、それに伴って症状も改善された様子だった。

ジストニアの症状の本質は、意識と無意識の「不一致」にあるので、「無意識」の領域を無視して、身体だけの治療や調整で良くなるというのは甚だ疑問である。ジストニアに限らず、意識と無意識の「不一致」で様々な症状が引き起こされるが、改善するために大切なのは、患者自身が普段意識していない「無意識」をできるだけ理解できるように、施術を通じて改善のお手伝いをすること。

医学の世界では、原因不明で難しい症状の一種であるかのように捉えられがちだが、意識と無意識が一致できるようにサポートすれば、段階的に改善される症状である。6回の施術を終えて、完全に良くなっているという訳ではないが、患者さん自身も施術を重ねるごとに段階的に良くなっていることを実感されている。

本症例では様々な「誤作動記憶」が関係していた。その「誤作動」の背後には「存在感」や「重要感」という普段意識していない価値観に関係する無意識的な意味づけが大きく関係していたようだ。PCRTの一連の施術を通して、無意識の心の構造を客観的にマッピングすることで、患者自身が自分の無意識を素直に理解し、そのことで、新たな神経回路の構築に変化が自然に促されたのだろう。つまり、自分自身(無意識)を深く理解することで、新たな思考の選択肢が自然に増えた結果だといえよう。