2012年5月11日金曜日

「構造異常」ではなく「バランス異常」

先日来院された患者さんで、病院でレントゲン診断を受け、骨の変形が原因で痛みが出ているので頭を後ろに反らさないようにとの指導を受けたとのこと。他の病院を受診したがそこでも同じように指示を受けたらしい。そのため日常生活ではできるだけ頭を反らさないように注意しているとのことで、高い棚の上のモノを取る際には不自由で、腕を頭より上に挙げる動作は極力避けているとのことでした。そのため、機能的な検査を行うと、頸部、上部胸椎部、肩部に筋の異常緊張や異常の反応がたくさん示されていました。

ここで注目していただきたい問題は、「本当に骨の変形が痛みの原因になっているのか」ということです。一般的には、医師にそのように診断されると9割以上の人が「その通りだと」と思い込んでしまうのではないでしょうか。専門知識のない人にとっては普通の判断です。私も20年以上前に、専門家にそのように診断を受けていたとしたら同じように思い込んでいたかもしれません。しかし、現在では「骨の変形=痛み」という常識的な判断には注意が必要で、危険な判断であるとさえ考えております。

「骨の変形=痛み」という説明をすることは簡単です。世間一般の人や機械構造論的な考えを持つ医療者のほとんどが、当たり前のように患者さんに症状の原因として説明しているでしょう。しかし、臨床現場では2つの矛盾によく遭遇します。一つ目は、骨の変形や軟骨の変形があっても症状のない人がたくさんいるという矛盾。二つ目は、骨の変形が原因で痛みがでていると診断された患者さんが、手術ではない保存療法で改善する例が多く存在するという矛盾です。また、このような臨床経験以外にも、そのような矛盾点を裏付けする研究論文も増えてきているという事実があります。

このような科学的な研究論文を読んでいると、「骨の変形=痛み」というような説明は簡単にはできないと思います。病院で「骨の変形=痛み」というような説明を受けていないかもしれませんが、レントゲンやMRIなどの高価な検査を受けて、何らかの構造的な異常があると、痛みの原因はその構造異常が原因であると思い込んでしまう傾向があるようです。そして、その思い込みは、関節の動きを制限させるマインドコントロールとなって、その動きにかかわる関節を不必要に制限させ、関節周辺の筋肉や神経系にバランス異常を生じさせます。

なぜ、「骨の変形=痛み」という本当のようで本当ではない説明を簡単にすることが患者さんの不利益につながるのかという説明をできるだけわかりやすくしたいと思います。まず、最初に、関節の変形はなぜ起きるのでしょうか?遺伝や運動不足など様々な原因があると思われますが、多くの場合、関節のバランスが悪くなった結果、骨と骨同士がつながろうとして、長い時間をかけながら変形してくることが考えられます。洞窟の鍾乳石のようなものです。

そして、大切なことは、関節の変形は、筋肉で支えられている関節のバランスが悪くなった「結果」であるということです。関節は「筋肉」のバランスで調整され、「神経」でコントロールされています。そして、関節の痛みの多くは「筋肉」→「神経」という機能的なバランス異常から生じ、痛みをかばうことでさらに関節のバランスが悪くなり、関節に異常な負荷がかかり、関節がつながろうとして変形が進行することも考えられます。

関節は身体を動かすために必要な部位です。その関節を動かさなくなるとどうなるでしょう。関節は役目を終えたと勘違いして、骨と骨とがつながろうとし、変形がさらに進行します。関節の健康を保つためには適度な運動が必要なのです。関節に適度な運動や負荷をかけることで関節の本来の機能が保たれ関節の健康を維持することができるのです。

一般的に「関節の使い過ぎはよくない」という考え方が当たり前のように言われているようですが、その考え方にもたくさんの矛盾があります。「使い過ぎ」が悪いのではなく、関節のバランスが悪い状態で関節を使うので、痛みなどが生じて、「関節を使うこと=よくない」と勘違いをしてしまうのです。関節のバランスが悪ければ、動かすと痛みや違和感を生じます。そのような症状がある場合は、関節のバランス異常があるというサインです。

しかし、一般的には関節の「バランス異常」というようには解釈せずに、関節の「構造異常」だと解釈する傾向があります。そして、関節に構造異常がないかどうか画像診断をして、もしも、構造異常が見つかれば、その構造異常を症状と結びつけてしまう傾向があるということです。現代医学は、「構造異常」を検査するのには優れていますが、神経と筋肉の機能的な「バランス異常」を検査することはほとんどありませんし、医学部ではそのような教育はされていません。よって、世間一般では、「関節の症状=構造異常」というマインドができてしまっているのです。

もしも、構造異常が原因であれば、その構造異常を外科的に修復するか、あるいは関節を使わないようにという指導になります。本当に構造が直接的な原因であれば、その構造異常を外科的に手術しなければ治らないでしょう。しかし、前述したように、関節に構造異常が存在しても症状のある人とない人がおり、また、手術をしなくとも症状が改善される事実から関節の構造異常が原因ではなかったということが後でわかる人がたくさんいるということです。

関節痛で悩んでおられる多くの方に最初に注目してほしいことは、「構造異常」ではなく「バランス異常」です。まずは、「バランス異常」を整えることを第一の治療法の選択肢として、それでも改善が見込めないときには「構造異常」の改善を最終の選択肢としてください。ただし、「バランス異常」を整える治療は現代医学ではほとんど行われておりません。適切なカイロプラクティック、あるいはその他の治療法を選択することが求められます。特におすすめはアクティベータ・メソッドというカイロプラクティックとニューロパターンセラピーです。

2012年4月14日土曜日

メンバーの有機的なつながりが組織を強くする

メンバーの有機的なつながりとは何か?

人と人とのつながりにおいて、大切な関係性の一つに「本音」と「建て前」があります。

メンバー同士が「本音」が主で有機的につながっている組織の多くは、組織に勢いがあり強くなっていく傾向があります。その一方で、弱い組織というのは、人と人とのつながりは「建て前」が主で機械的につながっていく傾向があります。分かりやすくその違いを言えば、「本音」の有機的なつながりとは、単に仕事のことだけでなくプライベート的なことでも親身にメンバー同士が相談し合う関係であったり、たわいないコミュニケーションを気軽にかわす関係であったりします。

「建て前」の機械的なつながりとは、仕事は仕事、プライベートはプライベートと線を引いて、仕事のことは義務的に話すが、プライベートのことはほとんど会話をしないという関係性です。もしも、このような機械的なつながりでメンバーが仕事をしていると、いざという時にメンバー間の連携が発揮できなくなります。「建て前」の関係性では、「隙間の関係性」をすり合わせることができずに創意工夫やアイディアがでにくくなります。生産性のある価値あるチームとしての仕事には、普段から「仕事」や「プライベート」の垣根を越えて気軽に話し合ったり、親身に相談し合える有機的な関係性が背後にあるはずです。

日ごろから建て前だけで「仕事」のときだけの会話しか交わさないメンバーは、いざとなった時にお互いの空気が読めないために、有機的な連携が発揮できずに、組織としては生産性のある価値を生み出すことができなばかりか、マイナスのエネルギーを生みだすことにもなりかねません。「組織は人なり」といわれていますが、「組織」というものは、単に個人的に能力のある人が集まれば強くなるというわけではありません。個人的な能力以上に求められるのはメンバー間の有機的な本音のつながりです。組織は人と人との本音のつながりの中で有機的な化学反応を起こしながら新たな「気づき」や「学び」を得ながら成長の道を歩みます。単に、規則やルール、マニュアルといった機械的な人とのつながり、すなわち建て前的な人とのつながりだけでは、組織としての求心力は発揮できません。

関わりたくない人と「建て前」で関わって仕事をしたり、関わりたくない仕事を「やらされ感」で仕事をしたりするメンバーと、普段から「本音」でメンバーと関わり、「やりたい感」で仕事をするメンバーでは、仕事の価値を生み出す力や生産性に大きな差が生まれます。組織のリーダーは、メンバー同士が本音で関わっているのか、それとも建て前的に関わっているのかを見極めて、できるだけメンバー同士が有機的に本音で関われる雰囲気づくりをする工夫が求められます。メンバー同士が損得勘定抜きにかかわりあえる信頼関係のネットワークは、有機的に本音で関われる組織にしかありえないでしょう。

人間同士ですからぶつかり合うこともあるでしょう。しかし、そのプロセスを経て有機的なつながりが生まれ、個人同士が互いに学びを得て、居心地のよい空間、成長性のある関係性を想像し組織を強くしていきます。それはあたかも自然界の法則のようなものです。自然は時には厳しく、時には暖かく私たちを包み込んでくれます。自然の恵みは厳しい環境や様々な刺激の中から生まれてくるように、人間も同様に、厳しい刺激を受けながらたくましく成長し、喜びと豊かさをはぐくんでいきます。有機的なつながりや、本音で刺激をし合うことなしに本物の成長や豊かさは得られません。機械的で表面的な豊かさを選ぶのか、有機的で奥深い豊かさを選ぶのかはその人次第です。

2012年4月12日木曜日

オシュマン博士の講演に参加して

「エネルギー医学のDr.オシュマンが久留米市で講演するそうです」と、出版社の方から驚きの一報をいただいた。「あのオシュマン博士が!? 久留米に…」心がソワソワした。

7年ほど前になるが、エンタプライズ社から翻訳出版された『エネルギー医学の原理』、それに続く『エネルギー療法と潜在能力』という本を読んだ時の感動は今でも覚えている。当時、このような奥深い研究をされているオシュマン博士という人はどのような人物なのだろうかとネットで検索した。何かセミナーを行っているのであれば、海外でも出向いて行こうかと考えたくらいだった。

そのオシュマン博士が、東京ではなく私のオフィスがある福岡市に隣接する久留米市に来られるという。縁のある人が久留米市に在住するとの理由のようだが、私は何かの引き寄せだろうと勝手に思い込む。その日はすでに予定が入っていたが、なんとか調整してオシュマン博士の講演だけを拝聴させていただくことができた。講演の冒頭から、生体エネルギーを体感できるワークから入り、そのワークと講演の内容とが結びつくようにプレゼンテーションが構成されていた。生体エネルギーという目には見えない存在を、できるだけ一般の方々に分かるようにという工夫がなされていた様子が伺えた。

講演内容は、上述の2冊の著書に書かれていることが主な内容で、その内容は私たちが主催している心身条件反射療法(ニューロパターンセラピー)研究会の講義などに引用していたのでよく理解できた。私は開業当初から臨床の現場で施術効果の本質を研究している治療家である。カイロプラクティックや鍼灸、その他各種療法で「なぜ、効果があるのか?」「その背景には何があるのか?」その本質を臨床現場で何度も検証に検証を重ねてきている。そして、様々な施術法の効果の本質を洞察していると『振動』=『エネルギー』というキーワードの共通概念が浮かび上がってきた。我々が引き出す施術効果というものは、『生体エネルギーの変化』によってもたらされているという事実が見えてきた。

以来、セミナーや研究会の講演では、『身体はエネルギー的に見なければならない』と治療家に指導しつづけている。カイロプラクティックのアジャストメント(矯正)で特に誤解されているのが関節の「ズレ」の矯正である。アジャストメントによる「ボキッ」という関節音とともに、あたかも関節の「ズレ」が整復されたかのような錯覚に陥る傾向にある。しかし、カイロプラクティックのアジャストメントは、脱臼の整復とは異なる。「ボキッ」というアジャストメントの後に症状が軽減、あるいは消失した場合、「ズレ」が矯正されたから症状が改善されたのだと思い込んでしまう。

しかし、それは本質的な原因と結果ではない。本質的な効果は、「ズレ」の矯正によるものではなく、振動刺激によってもたらされた生体のエネルギー的変化によるものである。そのことを『どのように科学的に証明されるのですか』と尋ねられると、『臨床的には証明ができるが、科学的なデータはありません……』と答えるしかない。生体エネルギーによる治療効果は、カイロプラクティックに限らず各種療法の施術効果に共通していて、目には見えない生体エネルギーによるため、そのことを科学的に証明できる検査手法やデータによる検証が乏しいのが現状である。しかしオシュマン博士の著書は、幅広い情報で我々の臨床的効果を科学的にバックアップしてくれていると私は思う。

大げさに聞こえるかもしれないが、私はオシュマン博士の本に触れて救われた気がした。なぜならば、オシュマン博士の本が出版される前から治療哲学として機械構造論から有機生命論へのパラダイムシフトの必要性を感じ、どのようにしてその概念を分かりやすく伝えることができるのかと案じていた時だったのである。まさに絶妙なタイミングでオシュマン博士の著書に出会うことができたと感謝している。そして、今回も絶妙なタイミングでオシュマン博士の講演を拝聴することができ、自分が目指す方向性を新たに再確認させていただくことができた。

現代医学の機械構造論に慣れ親しんでいる人々にとっては、この目には見えないエネルギー医学の分野は眉唾もののように受け止められかねない。しかし、オシュマン博士が書かれた著書は、本質的な施術法を追い求めている我々臨床家にとっては心強い情報であり、理論と臨床とが螺旋のごとくかみ合いながら我々の方向性を勇気づけてくれる。自然治癒力を引き出すことを目的に施術を行う治療者にはぜひオシュマン博士の著書を熟読していただき、臨床と理論を矛盾なく結びつけて、多くの患者さんに幅広く貢献していただければと願う。

2012年4月6日金曜日

2012年度PCRT Basic1研究会を終えて

本年度最初のPCRTBasic1の研究会を開催することができました。今回も満席で熱心な治療家の先生方にお集まりいただきました。

本研究会も毎年進化を積み重ね、今年は、「エネルギー」「パターン」「学習記憶」の3つのコンセプトを基本とし、その概論を説明しました。臨床各論では「術前後評価法」から始まってハード面の施術法を主にご紹介させていただきました。今回初めてご紹介させていただいた二日目の「松果体の施術法」は、多くの先生方にとって、治療概念が大きくパラダイムシフトしたのではないでしょうか。

まさに目には見えないエネルギー的な施術法なので、一般の方々にその効果の理屈を説明するのは難しいところがあります。しかし、理屈抜きに施術効果はその場で体感することができます。患部への直接的な施術ではないため、何か特別なパワーで施術をしているかのように思われがちですが、私が特別なヒーリングパワーや超能力を使っているわけではありません。一日目のワークショップで、まだ「松果体の施術法」の説明を受けていない先生に簡単に指導して「松果体の施術」を行ってもらうとほとんどの事例で施術効果が現れました。超能力的な何かを伝授したわけではありません。

もしかすると、場のエネルギーや目には見えない何かを伝授しているのかもしれませんが、ある程度の訓練を積めば誰にでもできる施術法であることを改めて確信できました。特に筋肉のこり感などの緊張やバランスは短時間に調整することが可能です。まだまだ、臨床研究を繰り返しながら検証する必要がありますが、もしかすると、簡単でしかも効果的な手当法として一般の方々に活用していただける可能性を秘めているのではないかと思ったりもします。

今回参加された先生方は、すでに臨床現場で活用されていることでしょう。先日もご自分の患者さんに「松果体の施術法」を試された先生から、「ほとんどの患者さんで効果があった」とのご報告もいただいています。症状の種類にもよりますが、筋肉のアンバランスによる筋骨格系の症状に対しては9割以上で効果があるので、逆に効果が出ないときはどのような原因が背後にあるのか興味が深まります。効果が出ない場合は、恐らくアドバンスクラスで紹介予定の「五感パターン」や「感情パターン」が潜在的に関連しているのではないかと思われます。

今回参加された受講者の方々が、研究会の二日目から後半にかけてだんだんと生き生きしてこられるように感じられたのが印象的でした。一年間継続して参加された先生方は着実に上達されています。それに甘んじることなく2年目、3年目とさらなる上達を継続的に目指されて、さらに多くの患者さんに喜んでいただければと願います。この研究会で紹介している手順は比較的簡単ではありますが、その施術法のツールの応用や背後にある治療哲学を理解していただくためには繰り返し受講されることが求められます。次回の研究会は6月30日と7月1日です。また、充実した研究会になることでしょう。

2012年3月23日金曜日

笑いがもたらす効能

久しぶりの患者さんが来院された。
夜寝つきが悪くことが続いて具合が悪くなり、先日救急車で病院へ行かれたとのこと。
病院では点滴をしてもらい、色々と検査をされたが、何も異常がなかったらしい。

「夜眠れない原因はなんでしょうか」と尋ねると、
笑いながら「ストレスですよ。」
「先日、習い事の幹事をさせられて怒られて、それが悔しいのですよ。・・・・」と笑いながら言われる。

言語神経反射検査にて、寝つきが悪い感情パターンを検査してみると「恐怖」のキーワードが反応を示す。

患者さんにそのことを伝えて、『「恐れ」につながる何か心当たりはありませんか』と尋ねると、最近、近所の人が5人ぐらいガンで亡くなって、自分も食道がんではないかと心配しているとのこと。ちなみにこの患者さんは79歳の女性。

「ガンになって怖いモノは何ですか」と尋ねると、「死ぬのが怖い・・・」笑いながら言われる。

「死んだら何か失うものあるんですか・・・」と尋ねると、「まだ、長生きしたい・・・」とのこと。

さらに「長生きして何をするのですか?」と尋ねると、

「・・・・(しばらく考えて)恋をしたい、ハッハッハっ・・・・」と大笑い。

「それでは、恋ができなくなるのが最後の恐怖ですね・・・」というと、また、大笑い・・・

「あ~もう具合の悪いのがよくなった・・・」と満面の笑顔:)

おそらくあの大笑いだと、自律神経系を切り替える施術をせずに、自動的に緊張パターンは切り替わった様子だが、一応施術を行った。

笑いを狙って治療をしているわけではないが、患者さんとの関係が深くなるにつれて笑いの数も増えてくるような気がする。心の深いところからくる笑いは、自律神経系のスイッチが切り替わってとてもよい効能をもたらしてくれているようだ。


2012年3月17日土曜日

「仕事」と「責任」について

先日、スタッフと「仕事」や「責任」について考えてみました。

責任の範囲が広ければ広いほど、周りや社会に必要とされる範囲が広がり、自分の存在価値が高まり、自分を豊かにしてくれる。そして、その存在価値を高めることで、周りや社会から守られるのではないか?つまり、責任の範囲の広さが身を守ってくれる保険のような役割をしてくれているのではないか?などと考えてみました。

『三人の石切り工の昔話がある。彼らは何をしているのかと聞かれたとき、

第一の男は、「これで暮らしを立てているのさ」と答えた。

第二の男は、つちで打つ手を休めず、「国中でいちばん上手な石切りの仕事をしているのさ」と答えた。

第三の男は、その目を輝かせ夢見心地で空を見あげながら「大寺院をつくっているのさ」と答えた。』( マネジメント下:ドラッカー著より)

この文章から、第一の男は生活のために仕事をしなければならないと考え、第二の男は名声のために仕事をしなければならないと考え、第三の男は地域社会のために仕事をしなければならないではなく、したいという気持ちが伝わってきます。同じ仕事をしているのですが、この三人の中でどの男の人生が明るく豊かに見えますか?第三の男の生活は、物質面で豊かなのかどうかわかりませんが、明らかに心の豊かさを感じさせてくれます。

一般的に仕事は、「~ねばならない」、あるいは「~すべき」という義務的な感覚につながりやすいようです。確かに仕事をしなければ収入が得られずに生活ができない。色々な考え方の中に「~すべき」「~すべきではない」という倫理道徳的な義務感につながる考え方、あるいは信念的な制限が隠れていると、心身共に緊張が生じ、目には見えない慢性的なストレスとして病気などを引き起こしやすくするかもしれません。

私たちは、何らかの信念を持って人生を生きています。「信念岩をも通す」ということわざがあるように、信念をもつことの大切さを教えられてきました。人は、様々な信念に基づいて生きていますが、この信念の中には意識的に分かっている信念と、無意識的で普段は意識していない隠れた信念があります。コーチングではその隠れた信念による制限に気づき、それに代わる信念を見つけることで、学びを深め、さらなる成長へとつながることができます。

例えば、「私は~すべき」あるいは「~すべきではない」。または「Aさんは~すべき」あるいは~すべきではない」という信念がある場合、どんな気持ちになりますか?おそらく心地よくない感覚になり、身体も緊張するのではないでしょうか。「逆境から立ち上がる」というシナリオを好むタイプの人は、あえて自分をマイナスな状況に追いやって、その苦難から這い上がることをエネルギーにすることを好んで繰り返す人もいます。

もしも、「~しなければならない」という考え方に関して、行動するかしないかは別として、「~ねばならない」という考え方を捨てたらどのような感覚になるでしょうか。その「~ねばならない」という考え方を捨てて何も失うものがなければその考えを捨てるという選択ができます。多くの場合、その「~ねばならない」とう考え方を捨てても何も失うものがなく、習慣的に単に自分に制限を加えて窮屈にしていることが多いようです。

一般的に仕事の報酬は、「収入」や「地位」、あるいは「名声」というものを追い求めがちですが、田坂広志さんは、著書の中で仕事をすることによる「目には見えない三つの報酬」を述べています。

「仕事の報酬は能力である」

「仕事の報酬は仕事である」

「仕事の報酬は成長である」

仕事を通じて様々なスキルが身に付くと、その人にはその能力にあった仕事や責任、権限が与えられます。そして、様々な仕事を通じて、人間としての成長が約束されます。責任の質が高まることで成長も高くなります。その過程の背後にあるのは「継続的な喜び」です。その一方で、収入や地位を目的に仕事をした場合、その背後にあるのは、「一時的な喜び」と「義務感」ではないでしょうか?

さて、今与えられている「仕事」と「責任」をあなたはどのように考えますか?

2012年1月20日金曜日

価格マジック」??? 

先日、東京でICC国際コーチングトレーニングを3日間開催しました。少人数でしたがとても有意義な時間を過ごすことができました。コーチ養成講座としては比較的高価な研修費でしたので、その内容を提供する側もそれなりの準備をして、満足のいく研修になるように今まで以上に意識も高くなりさらに勉学に励みました。

最初は、本部から提示された研修価格に対して、少し高すぎるのではないかと感じ、この価格で本当に覚悟を決めて来てくださる人がいるのか不安でした。でも、まずは自分自身がその価格に見合うだけの価値を作り出さなければならないという意識に変えてさらに勉強を深めることができました。受講される方もおそらくその価値に見合うだけの内容を吸収しようと意識が高まっていたように感じます。

品質の内容や程度によって、その値打ちが決まるというのが一般的ですが、今回の経験で、その値打ち(価格)が、逆にその品質の内容を決める、あるいは高めるということを学んだような気がします。つまり、値下げをするのは簡単だけれども、それと比例して品質も下がる恐れがあるということ。一般的に安さだけを求める傾向がありますが、その裏には品質の高さ、低さが隠されているということです。

特に、売り手だけでなく、買い手もその価値を信じて買うという意識の高さもその価値を相乗的に高めるのだということを学びました。参加されている受講者は、決してお金にゆとりがあるから参加されたのではありません。いろいろな工面をして、将来の可能性に自己投資されているということが、意識の高さで伝わってきます価格によって学問の深さが測れるものではないのかもしれませんが、参加される方全員がそのような高い意識で望まれているため、トレーニング全体のクオリティーも必然的に高いものになっていました。

これは、ある意味では、「価格のマジック」なのかもしれませんが、世界共通のICCのコーチングトレーニングを日本国内で最初にスタートできたことに深く感謝し、さらにコーチングの学問を深めながら、実生活の活動や診療、コーチング、セミナーなどに役立てて、皆さまや社会に還元していくことができればと願っております。