2018年2月17日土曜日

患者(クライエント)への「質問力」その7【関心を寄せるためのスキル】

患者(クライエント)への「質問力」その7【関心を寄せるためのスキル】

「寄り添う力」を高めるためには、患者の求めている結果にいかに期待を込めた関心を寄せるかが重要課題となるだろう。「関心を寄せる」にはどのようなことを意識すればいいのだろうか?また、そのためのスキルはあるのだろうか?まずは目の前の患者を一人の大切な人として、先入観をできる限り取り払って受容すること。患者を意識するのは、単に接している時だけでなく、患者と面会する前や後も含まれるだろう。患者への意識の度合いは、目下の関心ごとのみならず、その背後にある生活習慣や思考習慣、あるいは過去や未来に及ぶ時間軸も含めて幅が広い。どの程度関心を寄せるかは、患者が求めているニーズの程度にもよる。

患者本人が関心を寄せられることを求めていないのに、必要以上に関心を抱くと様々な誤解を招く恐れもある。まずは患者の求めている言語的、あるいは非言語的なメッセージをしっかりと汲み取ることが肝心だろう。患者が意識的にも無意識的にも求めているものは何かという関心のアンテナを立てることから第一歩が始まる。私たちは関心を寄せることで情報が入ってくる。何かに関心を持つとそれに関係する情報が自然に入ってくる傾向がある。例えば、海外旅行が計画された場合、なぜか普段は意識していない英会話や海外の情報が目に入ったり耳に入ったりした経験はないだろうか?それは「海外」というアンテナを立てたがゆえに無意識的にそれらの情報をキャッチするのである。相手に関心を持つということは、コミュニケーションの基本になる。

医療者と患者とのコミュニケーションは専門領域によって異なる。何らかの問題を抱えているという点においては共通しているが、単に肉体の構造上の問題なのか、メンタル面が関係する心身相関的な問題なのか、あるいは精神的、社会的な問題が関係しているのか様々である。慢性的な症状を抱えている患者は、多かれ少なかれメンタル面が関係することが多い。それは知らず知らずに身についた思考習慣や生活習慣に関係する。医療者が病気や不定愁訴に関係する原因に関心を寄せる場合、身体的側面に関心を寄せて、構造異常に目を向けて改善しようとするだろう。構造学的、あるいは機能学的な異常の多くは、結果であって原因ではないことが多い。身体的側面よりもより深い本質的な原因に目を向ける場合、患者の心理的側面に関心を寄せる必要があるだろう。

原因の本質がどこにあるかによって関心の寄せどころが異なるが、身体的な問題やメンタル的な問題にかかわらず、まずは一人一人の人間に関心を寄せる姿勢は大切になるだろう。



2018年2月13日火曜日

「生体反応検査法」をマスターするための大前提

「生体反応検査法」をマスターするための大前提

代替医療には様々な療法があります。その中でも症状に応じて治療法を選択する療法と、患者の生体反応に応じて調整法を選択する療法があります。前者は症状に応じて、施術する部位や手法がすでに決まっており、料理本に従って料理をするように長年の経験に基づいて施術手順をハウツー的に真似る手法になります。多くの人は通常医療に類似した手法に慣れており、代替医療においても症状に応じて薬を処方してもらう感覚で、対症療法的にマッサージや鍼灸、整体などを受けるとういうが普通ではないでしょうか?

一方、後者の患者への生体反応に応じて調整法を決定する療法ではオーダーメイド的な手法になります。症状に関わらず、それぞれの患者が示す生体の反応に応じて施術部位と施術法が決定されます。ここで説明する「生体反応検査法」とは、文字が表すようにある刺激によって示される生体の反応を読み取る検査法のことです。この検査法は神経生理学的な作用を利用しています。生体エネルギー論的に言えば、生体のエネルギーや生体の情報を読み取る方法です。生体反応検査法は特にカイロプラクティックの分野において発展し、数多くのカイロプラクターによって臨床現場で使われています。

カイロプラクティックの領域では、施術部位や施術法の決定には下肢長検査や筋力検査などの「生体反応検査法」が使われてきた長い歴史がありますが、西洋医学の思想に準じて、西洋医学的な診断をベースに調整を行うカイロプラクティックの流派もあります。科学至上主義とまでにはいかないにしても、機械論的な思考が色濃く、目は見えない生体エネルギーや有機的な関係性による反応には否定的な考えを示す傾向にあるようです。生体反応検査法を客観的に評価して、信頼性を示そうという科学的研究もありますが、可能な限り機械的な指標で見なければ、信頼度の高い結果は示されないようです。

もしも、骨の長さだけを評価するのであれば、二人の試験者間の一致度は高まる傾向があります。そこに筋肉の緊張度を加えた評価になるとその一致度は低くなり、さらに動作やメンタル面などの関係性を加えた評価になるとさらに一致度は低くなるでしょう。これらの信頼度を測定する研究には、試験管内で行う研究とは異なり、生きた人間を使って検査を行うため、一定の条件を統一するには無理があります。だからと言って、信用しないという人もいるかもしれませが、客観性のある科学的データが全てではありません。科学的なデータだけに基づいて治療を行うということは、様々な関係性や心の影響を排除して、機械論的に施術を行うということになります。


西洋医学の整形外科や外科、内科などの分野において科学的なデータに基づく客観性、再現性のある機械論的な検査や治療はとても重要です。しかしながら、西洋医学では改善が困難な症状を求められる代替医療の領域では目には見えない関係性やメンタル面などの複合した原因が絡んできます。そのような目には見えない因果関係が絡んだ症状を機械論的な西洋医学の概念でアプローチしようとすると、本質的な問題が見えなくなるでしょう。

生体反応検査法は機械論的検査では診ることのできない、様々な関係性を診る有機論的、生命論的検査法です。画像や数値で判断するのではなく、エネルギー的な情報を感じ取って有機的に判断することが大切です。生体反応検査法をマスターするための大前提として、機械論的な検査ではなく、有機論的な検査が必要であるという理解がまず必要になるでしょう。

2018年2月3日土曜日

患者(クライエント)への「質問力」その6【「寄り添う力」を高めるために】

患者(クライエント)への「質問力」その6【「寄り添う力」を高めるために】

患者とのラポールを築くための寄り添い方にはいくつかの技法がある。カウンセリングやコーチング 関連の書籍でも紹介されているが、最初によく取り上げられる技法は「傾聴」である。しかし、傾聴の前に大切だと思われるのは「患者に関心を寄せること」である。「患者に関心を寄せるなんて当たり前のことでしょ」と思われる方も少なくはないだろう。新米の医療者であれば、患者に関心を寄せることは当たり前のように思われるが、どのように患者に接するのかのマニュアル的な手法ばかりに意識が先行して、目の前の患者の問題に対する関心が薄れてしまうこともある。

一方、ベテランの医療者であれば、「慣れ」や経験からくる「思い込み」が知らず知らずのうちに生じてしまい患者が抱えている本質的問題への関心が薄れてしまうこともある。また、患者の来院数が増えると、患者の数をこなすことに関心が向いたり、早く終わらせることに関心が向いたりして、表面的なことばかりに気を取られて、言葉では言い表すことのできない心(無意識)の声に耳を傾けるまでには及ばなくなる。医療者は新米であれ、ベテランであれ、目の前の患者の表面的な言語や身体検査だけにとどまらず、言葉の背後に隠れた無意識的な心の訴えや魂に関心をよせ、無意識的な仕草や表情などのボディーランゲージにも深く関心を寄せることが求められるだろう。

関心を寄せることの効果を表した心理学的実験がある。「ピグマリオン効果」と呼ばれアメリカの心理学者ローゼンタールとフォードによって行われた。最初はネズミを使った動物の迷路実験だった。ネズミをランダムに二つのグループに分けた。実験を行う学生たちに一つ目のグループはよく訓練された利巧なネズミとして渡し、二つ目のグループはまったくのろまなネズミとして渡した。学生たちは恐らく前者のネズミを丁寧に扱い、後者のネズミをぞんざいに扱い、その両者のネズミへの関心や期待度の違いが実験結果に反映されたものとローゼンタールは考えた。そこで、教育現場の教師と学生でもありうるのではないかと考えた。

教育現場の実験では、普通の知能テストを行なったにも関わらず特別なテストを行なったかのごとく装った。そして、学級担任には今後数カ月の間に成績が伸びてくる可能性のある生徒の名簿を渡した。それは実際にはテストの結果とは関係のない無作為に選ばれた名簿だった。その後、学級担任は選ばれた子供達の成績が向上するという期待を込めてその子供たちを見ていたらしい。そして、実際にその子供達の成績が向上した。報告論文では成績が向上した原因として、学級担任が子供達に対して期待のこもった関心を向けたこと。さらに、子供達も期待されていることを感じ取ったがゆえに成績が向上していったと主張されている。


恐らく、教育現場では成績が伸びない予測がでたからといって、子供達にあからさまな差別的な扱いはしないだろう。しかしながら、期待を込めた関心が無意識的に態度に表れたのではないだろうか。もっと言えば、目には見えない期待や関心の信号が伝わったのではないかと考えられる。このように期待をこめた関心を寄せることの効果は、医療現場でも同じだろう。表面的には見えにくい効果ではあるが、誠実に患者に接している医療者であれば、納得していただけるのではないだろうか?