2011年9月10日土曜日

「幸福」とは、変化によって左右される瞬間的な感覚である

第82号 2011年9月10日(土)「幸福」とは、変化によって左右される瞬間的な感覚である
先日、遠隔治療を希望される患者さんからお電話をいただいた。主訴は昨晩より、発熱、首や腰、その他全体的に調子が悪くなったとのことだった。

「何か思い当たる原因は無いですか?」とお尋ねすると、昨晩、ご主人と今後のことについて話された際「色々な努力をしてきても、この先どうなるのか分からない」という不安や恐れの感情が湧いてきたとのこと。それが影響を及ぼしているのではないか?ということで、コーチングと遠隔治療を行った。遠隔治療後に症状がやや改善したことで、やはりそのことが影響していたということが分かった。

東北大震災や積み重なる自然災害、さらには世の中の変化のスピードが速くなり、恐らく、ご主人の職場での立場や環境もめまぐるしく変化し、安定感が感じられないというのも一つの要因になっていた様子。大震災後、多くの人達が「幸福」とは何かについて考え、それぞれの「幸せ」に対する価値観が大きく変化したのではなかろうか?大震災では、一瞬にして家も仕事も、そして家族も失うという悲劇が襲いかかってしまった。

もしも、自分にもその悲劇が襲いかかったとしたら、自分はその変化に耐えられるだろうかと想像する人も少なくはないだろう。頭では「もしもの悲劇」に対して覚悟を決めているつもりでも、いざそのような現実が襲いかかると、人間は本能的にどのように感じ、どのような行動をするかその時になってみないとわからない。

「怖れ」や「不安」を感じるのは、先が見えないことで怖くなることが多い。例えば、暗闇を歩きなさいと言われると、恐怖を感じるが、その暗闇にスポットライトが当たって、どこを歩くのかが見えると、恐怖感は少なくなる。何が起こるかわからない未来を、ある程度、想定する、予測するということは、「怖れ」や「不安」を軽減してくれる。

また、変化することに抵抗がある人も少なくはないと思われるが、変化という「ストレス」は、人間にとって大切な刺激になる。さまざまな「変化」には、自然環境の変化もあれば、人間関係の変化もあり、人間はその変化に適応しながら活かされ、その変化という「刺激」によってバランスが保たれている。例えば、人間関係でいえば、常に同じ人と接して、互いの期待度が高くなると、バランスが悪くなり、マイナス面なども目につきやすくなり関係性のバランスが悪くなりやすい傾向がある。

だから、ある程度の距離感を保つことが人間関係のバランスを保つ秘訣であると、賢人たちは教えてくれている。それは、たとえ夫婦や兄弟であっても、互いに適度な距離感や礼節を重んじていないと問題も生じやすくなる。ご主人が退職して、いつも家にいるようになって、関係性が悪くなったということはよく聞く話でもある。

人間にとって何かを失うということは、辛いことであり、特に肉親を失うということは耐えがたいことだろう。しかし、その一方で、何かを失うことで得るものがあるということも事実である。それは、それぞれの感じ方によって様々であるが、「幸せ度」が高い人は、多くの場合、その感じ方に違いがあるようで、経済的、あるいは物質的な何かに恵まれているというわけではないだろう。もしも、経済的、物質的に恵まれて「幸せ度」が高くなるとすれば、それは一定の時期に限られるだろう。

例えば、美味しい物を食べて、幸せを感じるのは、どれくらいの時間だろうか?毎日、同じ美味しい物を食べるとなると、その幸せ度はどのくらい維持できるだろうか?家族旅行で楽しいひと時を過ごしてその幸せを感じるのは、どれくらいの期間だろうか?毎週、同じ場所に家族旅行に出かけた場合、その幸せ度はどれくらい維持できるだろうか?

あるいは、大きな買い物となる車、あるいは家を購入して幸せを感じるのはどれくらいの期間だろうか?5年後もその幸せ度は維持できているだろうか?立派な家を購入しても、家族関係が悪くなれば、その幸せ度はどこかへ行ってしまうかもしれない。もしかすると、立派な家を購入するしないで、関係性が悪くなったということもあるかもしれない。狭い部屋で家族が寄り添っていた方が良かったということもあるかもしれない。

もしも、家族と一緒に過ごす時間が少ないことが不幸せと感じる場合、どれくらいの時間が必要なのだろうか?少しの時間だからこそ幸せ度が高まるのであって、おそらくずっと一緒に居ると色々な不平や不満がでてくることが多くなるのではなかろうか?

「幸福」を感じるためには、感じ方に工夫が必要であるということ。また、何かを得ることだけが幸福なのではなく、そのプロセスに目を向けることで幸福度が高まるということ。つまり、幸福をつかむために、家を買ったり、結婚をしたり、子供を授かったりということが一般的ではあるが、その後の感じ方次第で、そのことが不幸の元にもなりえるということも想定内にしておく必要があるだろう。

また、多くの場合、何かを得た時にひと時の幸福を感じるが、何かを得ようとして、夢中になっている時や、様々な変化に遭遇するそのプロセスにおいて、充実感、充足感を感じる。そして、そのプロセスにおいてその変化度や難易度が高ければ高いほど幸せ度も高くなるのではなかろうか。

一般的に「安定=変化がない=幸福」かのように捉えがちになるが、変化のない状態程、秩序が乱れるということは、物理学の世界でも証明されている。変化にも許容範囲というものがあるかもしれないが、「ゆでガエルの話」のように、ぬるま湯につかり過ぎると、気づかないうちに不幸な状態になってしまうということもあり得るだろう。

変化を恐れず、変化は幸せや成長への「スパイス」として捉えると、変化に対する柔軟性や適応力も増してくるだろう。また、今、不幸のどん底と感じている場合、その状態がずっと継続し、悪化するという負のシナリオができやすい。しかし、「ほんとうにこの状態が何も変わらずに継続するのだろうか?」と自分に問いかけることで、そのパターンを切り替えるきっかけになるかもしれない。

「幸福」とは、変化によって左右される瞬間的な感覚である。さて、あなたは、一日のうちにどれだけ「幸福」な瞬間を創りだすことができているだろうか?それは、心から「ありがとう」と思える「感謝の心」と密接な関係があるだろう。

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