2019年7月24日水曜日

「機能性身体症状」を調整する


ファミリーカイロをご利用いただいている患者さんの多くが病院での検査や治療を受けて来院されます。時折、「この症状は病院で治療した方がいいのか」、「ファミリーカイロで治療した方がいいのか」、相談を受けることもあります。基本的には患者さんご自身で判断していただきますが、ファミリーカイロを利用する際に参考となる病気や健康に対する全体的な考え方をご紹介させていただきます。骨折などの外傷、脳梗塞、強い感染症などはすぐに病院を受診した方がいいのはもちろんですが、分かりにくいのは慢性症状や構造異常が関係していない痛みなどの症状です。

健康と病気を考える上で大切なことは、Body(身体)Mind(心)は密接につながっており関係しあっているということです。西洋医学の思想では、身体と心を分けて病気の原因を考える傾向があります。そのように「細分化」して考える医療も大切ですが、「木を見て森を見ず」ということわざのように「全体論」で健康と病気を考える必要があります。実際に人間の身体は機械仕掛けのロボットのように部品の集まりでできているわけではなく、それぞれの組織や臓器が強すぎず、弱すぎず、早すぎず、遅すぎることなく調和して働いています。さらには、「人間」という文字が表すように、身体の内界と外界との間の関係性を上手に調和させて適応して生かされています。

「平均寿命」と「健康寿命」という言葉があります。平成28年度の厚生労働省の調査によると女性の平均寿命は87.14歳、男性の平均寿命は80.98歳です。そして、女性の健康寿命は74.79歳、男性の健康寿命は72.14歳です。年々、平均寿命は伸びている傾向にありますが、大切なのは健康寿命を延ばして豊かな人生を送ることです。ではどのように健康を維持していけばいいのでしょうか?多くの人は何らかの病気で死を迎えるのですが、どのようにして健康状態から病気へと進行するのでしょうか?そのプロセスを考えてみましょう。

健康な人がいきなり病院の検査でも分かるような「器質的な病気」になることはありません。最初は、身体の「働き」が悪くなります。その結果、「機能的異常の症状」が現れます。身体の痛みや不快感は機能的異常のサインとして教えてくれます。その機能的異常が慢性化すると、今度は器質的異常を引き起こして病気になります。そして、最終的にそれが致命的になるとその病気で亡くなるというプロセスを経ます。では、そのような病気にならないためにはどのように予防すればよいのでしょうか?
 
病気の原因は何なのでしょうか?前述したように慢性症状の多くは、まずは機能的異常から引き起こされます。その機能的異常の原因は、体質(遺伝)、生活習慣、感染、環境問題という素因に、様々な要因のストレスが加わり、適応力が低下して身体の働きに異常(機能的異常)をきたします。そして、その機能的異常が誤作動記憶として脳にクセがついてしまい、慢性化へと移行してしまうのです。これが、健康から病気へと進行する大まかなプロセスです。

病院では主に「器質的な問題」や「精神的な問題」を対象にしますが、ファミリーカイロでは、身体面の機能異常と心(脳)と身体の関係性による機能異常を調整させていただきます。病院では見つけることが難しい微妙な神経や筋肉の「働き」の異常や脳の「誤作動記憶」を整えることが可能です。身体の不調を感じたら、まずは身体の「働き」に注目して調整をしてみましょう。

2019年7月18日木曜日

鳥肌が立つぐらい良くなった・・・(痙性斜頸の症例)

「前回の治療を終えてから帰るとき、本当に鳥肌がたつぐらいに良くなっていました・・・このまま治るのではないかと思うくらい・・・」50代前半の女性の患者さんからコメントをいただいた。症状は痙性斜頸(ジストニア)。まだ、完治したわけではないが、症状の改善に感動されてこのようなコメントをいただいた。20代後半から約25年間症状を抱えているが、5年前から症状悪化。そのため仕事を辞める。人を意識した時などに特に顔が左に回旋する。悪くなり始めの頃から整形外科、鍼灸院を数カ所、5ヶ月前からは別の整形外科に週1回で5回ほど通院した。その後、大学病院を受診して5回通院されたとのこと。大学病院ではナーブロック注射を受ける。

来院の5ヶ月ぐらい前から症状が悪化して病院での治療も受けているが、改善が見られず少しずつ悪化しているかも・・ということを問診票に記載されていた。初回の施術を終えた後に症状の改善を感じられた様子で継続的に通院していただいている。7回目の来院時には良くなってきていることを自覚されていたが、その後、症状がぶり返すこともあった。13回目の来院の際に、前述のように、「前回の治療を終えてから帰るとき、本当に鳥肌がたつぐらいに良くなっていました・・・」というコメントをいただいた。初回の来院時から比べると確かに症状の改善が見られる。25年も抱えていた症状なので、様々な誤作動記憶の反応がでる。だが、施術を行うたびに消去法のように着実に改善している経過が伺える。

この頃では何よりも患者さんの顔の表情に変化があり、スタッフの間では「だいぶん変わってきたよね・・・」と話していた。50代前半の女性には失礼かもしれないが、あどけない自然の顔の表情が垣間見られるようになった感じで、受付では「最初は目をそらしていることが多かったけれども、しっかりと目を見て話されるようになっている・・・」らしい。恐らく症状の背後に隠れているメンタル的な側面が楽になっている様子で、そのことと連動して顔の表情や仕草に変化が現れているのだと思われる。

「鳥肌が立つぐらい良くなった」というコメントをいただく前の施術では、色々なメンタル系のキーワードが関係していたが、その中でも「猜疑心」というワードが大きな影響を与えていたのではないかと感じている。患者さんは治したい一心で通院されているのだが、心の奥には、長年患ってきた症状なので、「簡単に治るはずはない・・・」と自分の治る力に疑いを持つ思い込みをしていたことが分かった。患者さんは、「本当に治ることが奇跡・・・」とも仰っていた。

そこで、私は、「患者さん自身が治ることを心の底から信じられないと、その信念が足かせになって、本来は治る症状も治りにくくなる傾向がありますよ・・・」「症状を創ったのは患者さん自身の脳であり、脳が誤作動の記憶をしているだけなので、その症状を引き起こしている誤作動の記憶を施術することで治ると私は信じていますよ・・・」というようなお話をさせていただいた。また、意識と無意識の奥深い関係性も患者さんに理解してもらえるかどうか半信半疑ではあったが、あえてこのタイミングで説明させていただいた。

「治ることが奇跡・・」という患者さんの何気ない言葉ではあるが、その言葉の裏には「治るはずがない・・」という信念が隠れている可能性がある。ある意味それは「治らない」という「予言」でもある。もしも、治る方向へ行くと、その予言は崩されてしまうのである。そのような信念を無意識的に思い込んでいると、それは強いブレーキとして治癒力を制限する。また、信念とは自分が正しいと信じていることなので、もしも、治る方向へと進むと、自分が長年信じてきた信念や予言が崩される感覚になる。そして、無意識はその信念が壊れないように症状を呼び戻してしまうというような自己矛盾が生じてしまうことが推測される。

心理学的にとても深い話なので少しためらいはあったが、チャレンジして話してみた。すると、患者さんはそのことを理解してくれた様子で、そのような無意識の自分がいてもおかしくはないようなことを言われていた。そして、その説明も含めて「猜疑心」に関係する誤作動記憶の調整をした。他にも調整したキーワードがあったが、もしかすると、今回の改善はその説明とそのキーワードの調整が大きな作用を及ぼしたかもしれないと思う。

単純に信じれば良くなるということではないが、患者さんが無意識に抱いている自分への治癒力に対する不信感は、施術効果に多大な影響を及ぼしている。長年症状を抱えていると、「治したい・・」「いやいや治るはずがない・・・」などの心の葛藤があっても不思議ではない。治療者はこのような心の奥に隠れた葛藤や自己矛盾に対しても働きかけて整理するサポートをしなくてはならない。このような症状は、複雑な脳が関係しているがゆえにハウツウ的な治療法で治る症状ではないと言っても過言ではないだろう。

ジストニアの症状のほとんどが大脳基底核、大脳辺縁系、小脳など様々な脳の領域に関係しているが、知覚神経や運動神経を通じて、神経学的機能低下領域を刺激すれば治るという単純な症状ではない。意識と無意識の関係性や過去のトラウマなど脳の無意識的な関係性が誤作動として記憶されている。脳の機能そのもの自体が複雑に関係しあっており、無意識的な記憶が複雑に絡み合っている。ジストニアの調整はその複雑に絡み合った記憶の糸を解きほどいて整理していかなくてはならない。神経科学の研究が進むにつれて、未知の領域である脳の「複雑性」が徐々に解明されている。脳の機能は教科書に描かれているような線形の世界ではなく非線形の世界であることをジストニアの治療に関わる治療者は理解する必要があるだろう。

2019年7月13日土曜日

パフォーマンスを下げる興味深いパターン(誤作動記憶)

先日、バドミントン選手の施術をさせていただいて、とても興味深いパフォーマンスの問題が判明しました。患者さんもその気づきを得て、なるほどとすごく納得していました。以前から利用していただいている選手でカナダでの国際試合から帰国してすぐに来院していただきました。いつものように関節や筋肉の調整の後、患者さんから前回の試合で、得点をリードしていたのに追いつかれて逆転されて負けたので何かパフォーマンスに問題がなかったか検査をしてほしいとのことで、検査をすると誤作動記憶の陽性反応が示されました。

このパフォーマンスの誤作動記憶という意味は、本来の実力が引き出されていなかったという意味です。そこには無意識的な「心のクセ」が隠れていました。まず、ある程度点差が開いていたにも関わらず点差が縮まってきた場面を想像してもらいました。そこで生体反応検査法(PRT)を行うと陽性反応が示されました。無意識に関連するキーワードを検査すると「慈悲心」というキーワードが示されました。最初はそのキーワードにどのような関係性があるのか分かりませんでした。相手の選手に慈悲の心が生じたということなのですが、よくよく思い起こすと以前にもそのようなキーワードが示されていました。

それは、対戦相手が先輩のケースで示された「慈悲心」でした。勝負の世界なので相手を負かすということは当たり前のことと頭では理解していても、無意識の心は、先輩を負かしてしまうと悪い、先輩は尊重しなければ・・・というような錯覚に脳が陥っていたようです。その時は、先輩であろうが真剣勝負で全力で戦うことが相手を敬うことであり、先輩を尊重することだという気づきを得ました。そして、試合以外の活動では先輩として敬意を払い先輩を敬うことを大切にする・・・ということで整理がついていたようでした。

今回は、先輩でもない海外の相手なのにどうして?ということで、いろいろと考察されていました。すると、自分よりも格下の選手と練習する際、自分が本気で対戦すると相手の練習にならないので、相手にとって練習になるように少し手を抜くように練習しているとのこと。恐らく、本番の試合でも、ある程度点差をリードした際に、そのパターン(誤作動記憶)が出たのかもしれないと振り返っていました。そして、今後は、相手が格下の選手でも全力で対戦して練習することが相手のためにもなり、相手を尊重することでもあるのだという考え方を整理して、パフォーマンスを下げる「心のクセ」を切り替えていきたいというようなことを話されていました。

人を思いやる心の優しさから生じる無意識のパフォーマンスの低下でしたが、小学生3年生の頃から来院されている選手であるがゆえに、このパターンがもたらす影響はよくわかります。勝つために試合をしているはずなのですが、無意識の心のどこかで相手を負かすことにブレーキをかけてしまうのでしょう。「強くなければ生きていけない、優しくなければ生きる資格が無い」という何かのセリフを思い出しますが、勝負の世界では、真剣勝負で全力を尽くすことに純粋な美しさが育まれると思いますし、勝っても負けてもそこには「成長」という未来が待っているのだと私は感じました。

2019年7月11日木曜日

治療者の「志」

先日、セミナー後の懇親会で若い先生方とお話しする機会を得ました。それぞれに課題があり、毎回同じ症状を訴える患者さんのことなど色々な話題がありました。開業して1年目で経営的に苦労されているという先生もいました。私も経験がありますが、開業1年目はこの先どうなることかと不安がよぎることが多々ありました。1年目、2年目、3年目と患者さんとのご縁と信頼関係で不安を乗り越えていくことができました。当時はインターネットの普及率が数パーセントの時代でしたので、現在のようにネットを通じて広告するというようなことはない時代でした。でも、開業してからの25年を振り返ると、広告ではなく、口コミによる信頼関係によって支えられたのだと思います。

あの苦しい時期をどのように乗り越えたのか、何が良かったのかは一言で答えることはできません。「運」が良かったから、あるいは「お陰様で」ということは言えると思います。でもその「運」をどのように創ってきたのかという観点で見れば、色々な要因があると思います。一つ言えることは、ハウツウ的なテクニックで患者さんが集まってきたのではないことははっきりと言えます。開業して間もない先生にとっては、何かいいアドバイスはないかと悶々としているのではないかと察しますが、コーチング的に言えば、答えはご本人が持っているのだと思います。

敢えて、私の経験を振り返って見ると、なぜ、治療者【鍼灸師、柔道整復師、カイロプラクター(DC)】という職業を志したのか、そして、なぜ、カイロプラクティックの治療院を開業したのかという動機に邪な志がなかったかどうかだと思います。邪な志が全くなかったのかと問われると、全くなかったとは言い切れませんが、軸足としては高い志を目指していたと思います。私を支えてくれた父は、私の留学時代に長い手紙のやり取りの中で、人としての在り方を教えてくれていたように思います。また、整骨院修行時代でも、そこの院長が臨床家としての在り方や人としての義理や人情を教えてくれました。その教えにはどのように患者を集客するなどといった教えは一切ありませんでした。

さらに、治療院経営者としての在り方を学ぶために、患者さんからご紹介いただいた経営人間学講座にも10年ほど参加させていただき、中国の古典や帝王学などから解説された経営者としての在り方も学んできました。そこでもお金儲けの話などは一切ありませんでした。私が現在治療者として生かされているのは、運良く人としての在り方を教えてくれた何人かの恩師に巡り会えたお陰だと思っています。人間学だけでなく、治療に関係する学術的なことも継続的に学んで来ました。振り返ると「人間学」と「治療技術」を両輪のように熱心に学んだ時期は患者さんも右肩上がりで増えてきていたと思います。

昨年ごろより、社内でスタッフと共に「人間学」の勉強会を再開していますが、その勉強の深さに伴って、患者さんもだんだんと増えてきているのが分かります。なぜ、「人間学」を学ぶことで患者数が増えるのか?色々な要因があると思いますが、一つは、チームで同じテーマを話し合うことで、共通の理念、志が自然に生まれてくるのだと思います。人としての在り方を深く洞察して自分の言葉で語ることで自分を深く反省し、思考の枠組みの幅が広がってきます。その結果、自然に患者さんとのコミュニケーション力が変化して、マニュアル的に接するのではなく、心と心、魂と魂との触れ合いへと進化し、一人一人の患者さんのニーズを自然に察知できるようになるのだと思います。

人と人の触れ合いの質が高まると、必然的に来院してくださる患者さんの満足度も上がり、困ったことがあれば相談してくださり、知り合いに困っている人がいればご紹介して下さるのだと思います。治療者の基本は、治療技術も大切ですが、人としての在り方がそれ以上に大切で常に磨きをかけていかなくては、治療者としての存在価値が上がらないのではないかと考えます。

経営の神様といわれたピーター・ドラッカーの著書の中で語られている有名な寓話として、「3人の石切り工」の話があります。旅人がある町を通りかかると、3人の石切り工が働いていました。そこで、「あなたは、何のためにこの仕事をしているのですか?」1人目の石切り工に尋ねました。すると、「生活のために働いている」と答えました。次に2人目の石切り工に尋ねました。すると、「最高の石切りの仕事をしている」と答えました。最後に3人目の石切り工に尋ねました。すると「教会を建てている」と答えたという寓話です。この話は様々な職種のリーダー達に語り継がれています。

この寓話を治療者として経験を交えて解説してみたいと思います。結論的に開業25年を振り返り、私の中には3人の石切り工の要素が含まれていたと思います。開業当初はこのままで治療院が継続できるのか、生活のために他の職種につかなくてはならないのではないかという一抹の不安を抱えながら仕事をしていました。それから治療院が安定してくると、修行時代からの課題である最高の治療技術を身に付けたいと治療法の勉強や臨床研究に熱心に取り組みました。そして、自然療法の本質がある程度見えてくると、その治療法を広めて大きな組織(教会)を創って、多くの人に貢献したいと考えるようになりました。そして、現在では地域の方々に喜ばれ信頼される治療院経営とさらに治療法を進化させ、治療者の先生方にその治療技術を広める活動を行なっています。

振り返ると、私の思考の多くが「なぜ・・・」ということが基本にあり、「どのように・・・」というのはあまり重要ではありませんでした。現在でもまだまだ臨床で研究し続けていますが、イレギュラーな現象があると常に「なぜ・・」という思考が働きますし、経営に関しても「なぜ、治療院を経営しているのか」という原点になる問いかけは忘れないようにしています。治療法、経営、そして人としての在り方に関しての勉強はこれからも永遠に継続していきたいですし、さらに磨きをかけることで多くの人に喜ばれる自分になれることを信じています。

「どんな職業の人もその職業に死ぬ覚悟がないと本物になれない」という言葉があります。以前、弊社が主催するコーチングのトレーニングで、あるワークをしていた際、自分は今の仕事に命をかけているのだということを知ることができました。自分を客観的に観ることでなるほどと思いました。命をかけるというと、何か悲壮感が漂うかもしれませんが、私にとって命をかけることのできる職業に巡り会えたことは何よりの喜びであり、これからの100年時代に向かってこの職業をさらに価値あるものに引き上げて、同志を増やし喜びの輪を広げていきたいと思います。

2019年7月10日水曜日

久しぶりにお子さんと遊んでほんとに楽しかった!!(頸部ジストニア、痙性斜頸の症例)

繰り返される日々の施術の過程で、時折心に響く場面に遭遇することがあります。ジストニアの症状で来院されている患者さんの施術中の一場面で印象深いコメントがありました。それは、「久しぶりに子供と遊んでほんとに楽しかった・・・」と心に染み渡るように語っていたことです。何気ない普通の会話なのですが、ジストニアを発症した半年前から小学2年生のお子さんと遊べていなかったとのこと。育ち盛りの息子さんと久しぶりに遊べたことは、お父さんにとってはかけがえのない貴重な時間だったに違いありません。最初の強いジストニアの症状を知っているが故に、しばらくぶりにお子様と遊べたことはとても嬉しかったのだろうということがひしひしと伝わってきました。

それは7回目の施術日でしたが、その日の来院時はジストニアの症状の改善が明らかに分かる状態でした。患者さん自身も前日にお子さんと遊べるほど調子が良かったとのことでした。最初の来院時は、顔が左側に最大限に回旋したままで、不随意運動も強い状態。日常生活にも支障がでている様子で、お子さんと遊べる状態ではなかったのは明らかでした。ジストニアという症状の多くが肉体的な問題だけでなく、メンタル的な関係性が奥に隠れています。恐らくそのような潜在的なメンタル的な要因も解放されたことで心から楽しめたのだと思います。

当院で施術を受ける前は大学病院でボトックス注射を2回ほど受け、投薬治療を受けたとのことですが、症状の改善が見られずに来院されました。当院での継続治療で改善の転機になったのは5回目の施術の後だったかもしれません。その時、ある程度施術内容を理解されていたので、マインドフルネスによる自己療法も指導させていただきました。「雑念がいろいろと思い浮かぶと思うので、気になる雑念がでてきたら次回の施術で教えて下さい・・」とお伝えしていました。そして、次の6回目の施術の際に、「人生で最悪の出来事があったのを思い出しました・・・今までの施術で、なぜそれが出てこなかったか不思議なくらい自分にとっては人生で一番苦しい出来事でした・・・」と言われました。

実際にそのことを思い浮かべてもらうと明らかにトラウマの反応が示されました。10年前のことでしたが、脳の誤作動として記憶されていました。それ以外にも過去のトラウマ的な誤作動記憶は調整しましたが、そのことは本人も自覚しているように大きなトラウマだったようです。単純にそのトラウマだけがジストニアの原因となる誤作動記憶ではありませんが、症状の改善度から鑑みても大きな原因の一つになっていたように感じました。

当院を受診されるジストニアの患者さんのほとんどが心身相関的な誤作動による症状です。ジストニアの患者さんは目で見て分かる身体症状の改善を訴えて来院されます。メンタル的な問題を最初から訴えることはありませんが、施術を通じてだんだんと症状が改善するにつれて心の状態と身体症状が連動しているということが感覚的に分かってきます。継続治療の過程でメンタル的な気分も良くないと、それに連動して症状もぶり返すこともあります。でも、症状がぶり返してもその記憶を調整して書き換えることでその誤作動記憶による症状は消去法のように改善されていきます。

今回ご紹介せていただいている患者さんも継続治療のプロセスを通じて、だんだんと心と身体との関係性を体験的に理解されています。今回のような明らかな改善を体験することでジストニアが根本的に治っていくのだという自分の治癒力に自信を持つことができたのではないかと察します。今後、さらに改善されるように継続治療させていただきたいと思います。