2012年9月4日火曜日

先生、今日は「念」が入っていますね・・・

「先生、今日は念が入っていますね。」
施術が終わるころに、一人の患者さんがさりげなく話された。

以前、その患者さんとの遠隔施術の時に、「念」についての話題がでてきて、互いに共感し合っていたので、その患者さんが何を意味しているのかピンときた。

・・・ということは以前の施術は念が入っていなかった???
他の患者さんも「念入りに治療をしてもらわないと・・・」なんて、冗談半分にいわれることがあるが、いつもどの患者さんにも基本的な治療院のルール(時間など)の中で念入りに治療をしているつもりだが・・・・

その後、自分自身の心の動向を冷静に客観視してみると確かに念が入っている時と入ってないことがあることに気づかせていただいた。今回、「念が入っていますね。」といわれたのには理由がある。

それは、いつものパターンではあるが、新しい施術法を発見して、それをできるだけ多くの患者さんに試して、その効果を再確認したかったのと、その施術法で患者さんに喜んでいただきたかったという理由があった。

振り返るといくつもの施術法を生み出すたびに、そのたびにワクワクして施術に念が入っていただろう。そして、その施術法の効果が当たり前になってくると、効果が出るのが当たり前だから念も入らなくなる・・・

自分にはそのようなパターン(心の習慣)があることは以前から分かってはいたが、それが直接的に患者さんに影響を与えていたのだということを、今回は真摯に気づかせていただいたような気がする。

「念」とは目には見えないものであるが、それを込めるかどうかでは様々な成果が異なるだろう。治療院の経営も、患者さんの満足度を高めるために治療技術の向上やコミュニケーションスキルの向上が重要であるが、そこに情熱がプラスアルファーされなければ患者さんへの真の満足度へとつながらないだろう。

情熱とは、私流にいえば真心であり、今回気づかせていただいた「念」を込めるということもその情熱に含まれるのだということが自分なりに理解できた。今後は、治療院の公平なルールの中で、いかにして一人一人の患者さんへ「念」を込めることが出来るかを工夫していきたい。

また、たとえ目の前に患者さんがいなくても、離れている患者さんの健康を願って念を込めることも大切だと思う。不思議な話ではあるが、その後でその患者さんから予約の電話が実際に入ってくることもあったりする。

やはり、目に見える人に念を込めることも大切だが、目には見えないところで念を込めることの方がもっと大切なような気がする。

「念ずれば花開く」
これは詩人、坂村真民さんの詩の一句である。よく引用される名句ですが、この句に隠されている意味はとても奥深いように思う。

「念」というのは貯金のようなもので、一度や二度願いを込めたからといってその願いが成就するわけではないだろうし、そこに自分の欲得のための邪念ではその念も真逆に振り返ってくるだろう。

純粋な「念」の貯金は増えたり減ったりして一向に貯まっていない気もするが、純粋な心で、邪念を無くし、ご縁のある人から組織や社会のための成長や健康、安全を念じ続けられる自分になりたい。

(坂村真民さんの自筆の画像はサイトから引用させていただきました。ありがとうございます。)

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