2018年1月23日火曜日

患者(クライエント)への「質問力」その4【無意識は嘘をつけない】 

患者(クライエント)への「質問力」その4【無意識は嘘をつけない】 

「頭」で考えていることは「意識」、身体」で感じることは「無意識」という前提で考えてみる。現実には「意識」と「無意識」は、有機的に交差しており白か黒のように分けることはできない。分けて考えるとすれば、「意識」は嘘をつくことができるが、「無意識」は嘘をつくことができないということがいえる。最近では身体の「しぐさ」や顔の「微表情」を読み取って本音を見抜くといった書籍も増えてきている。「微表情分析」という顔の一瞬の表情を読み取って、深層心理で示される「怒り」や「恐れ」、「嫌悪感」などの感情を分析する方法がある。嘘を読み解く犯罪捜査官などがこの分析法のトレーニングを受けて、様々な犯罪の検挙に役立てている。0.2秒ほどで現れる一瞬の微表情は、深層心理からくる無意識の仕草であり、「本音」を表している。つまり、無意識は嘘をつかないというよりも、嘘をつけないということになるだろう。

幼児期であれば、ほとんどの子供は「本音」で感情をあらわにするが、成人になるにつれて「理性」の脳が発達して、「建前」で表現することを学習する。例えば「正直にいって・・・」というフィレーズを使う人がいる。深読みすると、「いつも正直(本音)ではなく、建前ばかりいっているのですか?・・・」という疑問が生じる。成人になればほとんどの人は「本音」と「建前」を使い分けて社会生活を営んでいる。すなわち、私たちは多くの「嘘」に触れながら毎日の生活を送っていることになる。もう少し正確に言えば、言葉で「嘘」をつくというよりも、感情を抑えたり、創り笑いなどの「嘘」の表現をしたりして心の本音を表に表さないで生活していることが多い。

時折、なぜか分からないが、悲しくなるという人もいる。「意識」の頭で考えても理由は説明できないが、なぜか「無意識」の身体は泣いているというように自分の本当の感情がどこから生じているのか分からないことさえもある。「私は泣いていません」という「意識」的な言葉よりも、人は「無意識」の涙や表情を信じるだろう。このような意識と無意識の関係性は、本人自身も気づかない。別に嘘をついているわけではない。意識と無意識が不一致であり自己矛盾が生じているのである。このようなことは多かれ、少なかれ誰にでもある自然の現象だと捉えた方がいいだろう。


私たちの日常生活において、人とのコミュニケーションで人間関係が構築され、社会生活が営まれている。そのコミュニケーションとは単に意識的な言葉のやり取りだけでなく、言葉では言い表せない印象や雰囲気で感じ取り、様々に解釈している。むしろ言葉の内容よりも、声の調子や顔の表情などによる無意識的なボディーランゲージによって判断していることが多いだろう。これは、「メラビアンの法則」としても知られていることだが、人とのコミュニケーションは言語による意識的な対話よりもむしろ非言語的な無意識的な対話で成立していると言われており、意識的に行う言語で嘘をついても、無意識的な非言語での対話は嘘をつけないといえるだろう。

2018年1月19日金曜日

患者(クライエント)への「質問力」その3【「無意識の脳」への質問】

患者(クライエント)への「質問力」その3【「無意識の脳」への質問】 

関節痛などの慢性症状の多くの患者は、病院で身体的検査をしても異常が見当たらないことが多い。例え、背骨の変形や椎間板ヘルニアなどの症状が存在してもそれが直接的に痛みやしびれなどの原因になることは少ない。厄介なことに椎間板ヘルニアなどの画像診断を受けると、あたかもそれが症状の原因であるかのように思い込んでしまう傾向がある。そのような思い込みは、本来の原因となるバランス異常や心身相関などの目には見えない領域に関心を向けずにさらに症状の改善を遅らせてしまう傾向がある。

身体的に症状の原因になるような問題が見当たらない慢性症状を抱えた患者に対して、どのような「質問力」が求められるのだろうか?急性症状による原因は意識的に答えが出やすいが、慢性症状の原因になると、行動や思考などの無意識的な習慣が関係しやすいので意識的な領域では答えられないことがほとんどだろう。少し飛躍して言うと、慢性症状は「無意識の脳」が作り出すプログラム化による結果であるという前提に立てば、「無意識の脳」に質問しなくては答えが出ないということになる。おそらく「意識の脳」に質問をしても、分からないだろうし、答えがあるとすれば機械仕掛けの「原因と結果」の理論から分析した答えが返ってくる可能性が大きい。「無意識だから答えようもない」という反論もあるだろう。では、「無意識の脳」にどのように質問するのか。

心理学や催眠療法などに興味のある人であれば、「意識」と「無意識」の違いなどについては、多少の解釈の違いはあっても理解されるだろうが、一般的に考えることはない。意識や無意識に関する心の構造の概念は、フロイトやユングらが学術的に発展させた現代の深層心理学以前に、すでに唯識思想として4世紀にインドで確立されている。そして、「意識」と「無意識」との調和、統合、すなわち心身統一の大切さが語り継がれている。心身統一の意味を「脳の構造」に照らし合わせると、心=意識、身体=無意識ということになる。頭(心)で考えていることと身体(心の奥)で感じていることが一致していることが大切で、そこに不調和、不一致が生じてしまうと、心も身体も不健康になり、潜在的な能力も発揮できなくなる。

「意識の脳」は「理性」を担い、「無意識の脳」は「感性」を担うと説明されることもなる。意識の脳」に質問すると、分析的で理論的な答えが返ってくる傾向がある。答えの傾向がイエスかノーであり、その中間はないことが多い。その一方で、「無意識の脳」に質問すると、感覚的で曖昧性のある答えが多い。イエスかノーでは答えられない内容になるだろう。よって、「無意識の脳」への質問の多くは、評価や判断の度合いが幅広く、答えが限定されない質問になるだろう。答える側は、すでにある答えを探すのではなく、今まで考えたことのない未知の領域に思考を巡らせて答えを導き出すことが多い。それが「無意識の脳」を活用した答えになる。


慢性症状の原因の多くは、外傷を受けた急性症状の原因のように、イエス・ノーで答えることのできない場合が多い。言い換えると、症状の原因がイエス・ノーで答えることができないが故に、脳の交通整理がうまくいかずに神経系の機能に誤作動を生じさせ、結果的に慢性症状が現れやすくなると言えるだろう。

2018年1月17日水曜日

患者(クライエント)への「質問力」その2【症状の質や原因に応じて異なる質問】 


患者(クライエント)への「質問力」その2【症状の質や原因に応じて異なる質問】 

事故などによる身体的問題を抱えた患者に対しては、「いつ、どこで、どのように外傷を受けたか?」という「原因と結果」に対する質問が肝心で、「物理的な外力がどのようにどの程度加わったのか?」そして、「どこの部位でどのような結果になったのか?」、「時間の経過とともにどのように変化し、外傷直後にどのように処置したのか?」、「症状の程度や質はどのように感じたか?」などに関する質問をすることが大切だろう。

西洋医学の領域で言えば、整形外科から外科、内科、などでは機械構造論の知識や技量が求められる。その一方で心の面が関係する心療内科など、有機的なつながりや関係性が求められる領域では患者への質問の質や内容が大きく異なるだろう。心の側面との関係性を診ない整形外科や外科などの領域では、医師は解剖学的、生体力学的な医学知識を統合しながら分析して、最善の治療法を導き出すだろう。医学の知識と経験があれば適切に判断して適切に治療を行うことができる。さらには、膨大なビックデータを処理するコンピュータで症状などの情報を入力すれば、機械的に診断ができる時代になりつつある。

外傷を受けた急性患者に対しては、機械構造論的な原因と結果の分析に基づく質問で患者のニーズに答えることができる。しかしながら、3ヶ月以上も同じ症状を抱えている慢性患者に対しては、このような機械構造論的な原因と結果の分析では辻褄が合わないことが多い。それはなぜか?多くの医療従事者は、身体的な問題があると、外傷を受けた患者と同様にその問題を「機械仕掛けの理論」で質問し説明しようとする傾向があるからだ。その原因と結果の説明を聞くと理論的で「なるほど」と思いたくなる。しかし、そこにはたくさんの矛盾がある。

最近ではロボットに心の要素を組み入れる研究も盛んになってきている。しかし、心を持った人間は機械仕掛けのロボットを修復するようにはいかない。心と身体の関係性はとても複雑でまだまだ未知の領域がたくさんある。特に理解し難いことは、「無意識」の心の領域が身体の90%以上をコントロールしているということだろう。もちろん「意識」の心の領域でも身体をコントロールしているが、私たちの行動や内臓や細かな細胞に至るまで、無意識の脳(神経)が様々な情報交換を行いながら自動的にコントロールしているのである。


慢性症状の多くは「無意識の脳」が誤作動を記憶してプログラム化された結果であることが多い。神経の働きが乱れ、筋肉が異常に緊張して自動的に慢性症状を生じさせるように、脳が無意識的に学習し記憶しているのである。もちろん故障している身体的な部品を取り替えて改善する症例もあるが、慢性症状が改善された多くの患者は、脳・神経の誤作動記憶を健全な記憶に書き換えることで改善される場合が多い。このような「無意識の脳」が引き起こしている「働きの問題」を抱えた慢性症状の患者に対して、外傷患者と同様な質問をしても症状改善の糸口は得難いだろう。