2020年5月24日
今回のLCA人間学のテーマは「本質を見抜く」でした。本質とは何か?とても幅広く深いテーマです。私はセミナーで治療法を指導させていただく立場の人間として、以前から「本質的・・・」という言葉をよく口にしています。今回の勉強会を通じて、私が話している「本質とは何か」というその伝え方を改めて工夫しなければならないと思いました。
治療、施術に関しての「本質」というと、症状の原因は何かということ。対症療法に対して原因療法の方が、より「本質」といえるでしょう。でも、もしかすると、人によっては原因療法であれ、対症療法であれ治ることが「本質」であれば、治る過程や症状の因果関係などは関係ないと言い切るかもしれません。
このように考えると「本質」の正しい答えというよりは、その人それぞれに考える「本質」があるということにもなります。でも、私は症状が「なぜ治るのか、なぜ、治らないのか」にとても興味があり、治療家としてずっと結果を追求してきました。そのような意味では原因療法、本質的療法を追究し、ある意味ではそのことに執着してきた治療家だといえます。
治療家の中で根本療法といっている人に遭遇することがありますが、症状の原因と結果を追求すればするほど、「根本」とは言えない深い領域があることは認めざるを得ないと私は考えています。それが故に、「根本療法」とは言い難いところがあり、その方向性を含めて本質的療法という様にしています。
今回の「本質を見抜く」というテーマで、治療法に限らず、物事の見方捉え方において、本質を見抜くためには「蟻の目、鷹の目、魚の目」で多角的、多面的にみる観方も大切だという話もしました。「人生万事塞翁が馬」という「本質」に触れたことわざの様に、今はコロナ禍で不幸に悩まされても、その不幸が原因で幸運を引き寄せたという話はよく耳にします。
大切なのは、この困難をどのように受け止めて、どのように今を生きるか。私たち自身の「本質」が今問われているのだと思います。もしも、今回の禍を否定的にだけ受け止めるのであれば、それはあなたにとっての「本質」になるでしょうし、肯定的に受け止めるのであれば、それもあなたにとっての「本質」なのだと思います。
私は今回のコロナ禍によって、自分自身の成長が試されているような気がしています。「今までに考えたことのない『知恵』をもっとだせ」と誰かが叱咤激励している様な声が聞こえてきます。
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