ラベル パフォーマンス の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル パフォーマンス の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2020年1月8日水曜日

「心のブレーキ」がもたらすパフォーマンスの低下

先日、全日本クラスのバドミントン 選手のパフォーマンス低下に対する問題に関して、相談を受けました。ある練習試合で前半戦は大幅にリードして、通常であれば勝つのが当たり前のような状況だったとのこと。しかし、そこからまさかの逆転負け。何がそのようにパフォーマスを低下させてしまったのか?その記憶を辿って生体反応の検査で探索してみると、その記憶のパフォーマンスに陽性反応が示されました。陽性反応があるということは、無意識的な神経信号に関係する何らかの「誤作動記憶」があるということです。

その誤作動記憶に関連するキーワードを検査してみると「虚栄心」という言葉が示されました。その時の対戦相手は大学の後輩で、お互いに気心が合う間柄とのこと。試合中、無意識的に後輩のことを想い、リードし過ぎると後輩の練習にはならないという想いが心のどこかにあったかもしれないという。それがどのように「虚栄心」につながるかというと、平たく言えば「良い先輩」として思われたいという無意識の心につながっていたということです。

もしも、大幅にリードしたまま後輩を負かしてしまうと、それは思いやりのない先輩につながり、相手を敬う良き先輩であるという理想像が崩れてしまうというような状況で、無意識ではありますが、後輩のことを思って少し手を抜いたということになります。以前には「慈悲心」というキーワードがパフォーマスを下げる要因として関係しており、先輩を負かしてしまうと申し訳ないという心のブレーキがパフォーマスに影響を及ぼしていた様子でした。

私は彼を6歳の時から事あるごとに治療やコーチングでのサポートをさせていただいています。小学生の頃からすでに全日本レベルの選手でした。中学生から親元を離れて遠方で寮生活を送っていました。帰省の際には毎回治療院を訪ねてくれたり、遠隔での治療も受けていただいたりしていました。陰ながら彼の成長をみさせていただいており、多くの人に好かれるタイプであることは明らかでした。それは一重に人への「思いやり」を大切にしているということがよく分かるのですが、その「相手を敬う心」に関係する「心のブレーキ」がパフォーマスを下げているということにつながっていました。

「相手を敬うという心」は人としてのあり方を支える大切な心の信念ですが、試合のパフォーマンスに影響を及ぼしているというのは別の意味で問題です。そのような「心の在り方」をどこで培ったのか、最初のきっかけはいつだったのかなどを質問したところ、親元を離れて最初に寮生活を始めた時とのことでした。その教えはバドミントン部の監督を通じて、先輩後輩の関係性を寮生活、部活動を通じて学んだということでした。

勝負の世界では「闘争心」が力を発揮します。しかし、彼にとってはその「闘争心」という言葉には違和感がある様子でした。恐らく世界トップレベルの選手が勝ち続けている背後には「不屈の闘争心」があるのではないでしょうか?あらゆる壁を突き崩して勝利へと導くには「闘争心」が必要不可欠でしょう。相手に絶対に勝つという闘争心を燃やすことで、自分の実力を最大限に発揮し、さらにはそれ以上に力を引き出すことにつながるかもしれません。「闘争心」には相手を慮る心がないように感じますが、それも解釈の仕方で様々な受け止め方ができます。

トップに行けば行くほどに真剣勝負の度合いが高まります。世界選手権やオリンピックの大会になると自国の期待を背負うことになります。そんなプレッシャーの中で、相手を慮る気持ちがあると複雑な心境になるでしょう。「相手を敬う心」を変えることなく、秘めたる闘争心を引き出すためにはどうしたらいいのでしょうか?勝負の世界でお互いが全力を尽くして戦うことに意味があります。お互いに真剣勝負で全力を尽くすことが、「相手をリスペクトする」ということになり、「闘争心」を燃やして、自分を出し切ることが、相手に敬意を払うことになると解釈することもできます。

互いに全力を尽くして戦って、たとえ相手が負けたとしても、それは勝敗を超えた意味ある課題が相手にできることでもあり、未来のための意味ある課題の創造につながることもあると思います。真剣勝負で戦うことの意味や心得を整理できれば、恐らく今までとは異次元のレベルで試合ができるかもしれません。身近にいるトップ選手にそのような「闘争心」なないかどうか質問してみました。すると、ある時、身近にいるそのトップ選手は、練習の際に力を抜いたようなプレーがあったというような感じで相手の選手に怒っていた場面があったといいます。

その時は、そのことに対しては違和感があったとのことですが、コーチングでこのような話をした後で、彼のことを振り返ると、練習の時でさえも真剣勝負で「闘争心」を燃やしており、格下の選手にもそのレベルの気持ちがないと、叱咤激励の意味も込めて鼓舞していたのだということが分かった・・・・とその時のことを回想していました。練習や試合以外の時には「相手を敬う心」は大事にしても、いざコートに立ったら、練習試合でも「闘争心」を燃やす訓練は日々積み重ねておくべきでしょう。恐らく本番の試合だけ「闘争心」のスイッチを入れて切り変えればできるというものではないように思います。

コーチングを織り交ぜた遠隔治療を終えた後、とても大切なことに気づいたとフィードバックしてくれました。昨年はランキングも伸び悩み、プレー自体も楽しめない自分もいたということを打ち明けてくれました。恐らくトップ選手に必要な「闘争心」が欠けていたのかもしれません。私も長年彼をサポートさせていただき、この気づきは彼にとっては大きなターニングポイントなったのではないかと感じました。恐らく彼が持っている秘めたる闘争心に火をつけることで、さらなる次元へと進化していくように思います。さらなる彼の成長を楽しみに陰ながら応援しています。

2019年9月1日日曜日

パフォーマンスを上げるための「心の持ち方」

本日、ナショナルチームに入っている選手が試合前に来院された。ナショナルチームに入って2年目、最近ではランキングも下がってきており、現在継続している練習と試合とのバランスなど、このままのやり方でいいのか少し迷いがあるとのこと。もしかすると、そのようなことがパフォーマンスにも影響を及ぼしているのではないかとのことで・・・

「身体に聞いてみた」

すると、以下の項目で「誤作動記憶」の反応が示された。
ここでいう「誤作動記憶」とは「心と身体」、「意識と無意識」の不一致からなる脳に誤作動を生じさせる記憶(パターン)のことである

l  所属チームとナショナルチームの練習の違い
l  海外遠征での環境の変化
l  休日の過ごし方や過酷なスケジュールなどOFFONの調整

上記の誤作動記憶の調整とともに、それぞれの項目で誤作動を打ち消す自分に合った肯定的な「心の持ち方」も身体の反応を検査しながら探索した。

【所属チームとナショナルチームの練習の違いについての心の持ち方】
ナショナルチームの練習メニューに関して違和感があるが、その中でも主体的に自分にプラスになる練習を工夫する

【海外遠征での環境の変化の捉え方】
東南アジア遠征での蒸し暑さや設備の古さなど劣悪な環境だが、未来の自分を鍛えてくれる練習・訓練だと思って臨む

【休日の過ごし方】
一般論的に「次の試合に備えて休む」というように「頭」で考えて無理に休むのではなく、「身体」で感じて必要な時は休み、必要でなければ適度に練習をする

【過酷なスケジュールの臨み方】
2日連続で試合がある時は心身ともに負担が掛かるが、自分を鍛えてくれる訓練、練習だと思って臨む

ナショナルチームの一員として、海外遠征などその場の環境に適応できる自分になれるように自分に合った心の持ち方が必要になるだろう。一流選手になるとメンタル面と身体との微妙なバランスがとても大切になる。そんな局面で「身体に聞く」検査は有効で、コーチング手法を織り交ぜた質問で、選手は自分に合った答えを自分で見つけていく。


今回はパフォーマンスに関係していたメンタル面のサポートが十分にできた感触があったので、恐らく本来の実力が発揮されてパフォーマンスが向上するのではないかと期待して陰ながら応援している。

2019年7月13日土曜日

パフォーマンスを下げる興味深いパターン(誤作動記憶)

先日、バドミントン選手の施術をさせていただいて、とても興味深いパフォーマンスの問題が判明しました。患者さんもその気づきを得て、なるほどとすごく納得していました。以前から利用していただいている選手でカナダでの国際試合から帰国してすぐに来院していただきました。いつものように関節や筋肉の調整の後、患者さんから前回の試合で、得点をリードしていたのに追いつかれて逆転されて負けたので何かパフォーマンスに問題がなかったか検査をしてほしいとのことで、検査をすると誤作動記憶の陽性反応が示されました。

このパフォーマンスの誤作動記憶という意味は、本来の実力が引き出されていなかったという意味です。そこには無意識的な「心のクセ」が隠れていました。まず、ある程度点差が開いていたにも関わらず点差が縮まってきた場面を想像してもらいました。そこで生体反応検査法(PRT)を行うと陽性反応が示されました。無意識に関連するキーワードを検査すると「慈悲心」というキーワードが示されました。最初はそのキーワードにどのような関係性があるのか分かりませんでした。相手の選手に慈悲の心が生じたということなのですが、よくよく思い起こすと以前にもそのようなキーワードが示されていました。

それは、対戦相手が先輩のケースで示された「慈悲心」でした。勝負の世界なので相手を負かすということは当たり前のことと頭では理解していても、無意識の心は、先輩を負かしてしまうと悪い、先輩は尊重しなければ・・・というような錯覚に脳が陥っていたようです。その時は、先輩であろうが真剣勝負で全力で戦うことが相手を敬うことであり、先輩を尊重することだという気づきを得ました。そして、試合以外の活動では先輩として敬意を払い先輩を敬うことを大切にする・・・ということで整理がついていたようでした。

今回は、先輩でもない海外の相手なのにどうして?ということで、いろいろと考察されていました。すると、自分よりも格下の選手と練習する際、自分が本気で対戦すると相手の練習にならないので、相手にとって練習になるように少し手を抜くように練習しているとのこと。恐らく、本番の試合でも、ある程度点差をリードした際に、そのパターン(誤作動記憶)が出たのかもしれないと振り返っていました。そして、今後は、相手が格下の選手でも全力で対戦して練習することが相手のためにもなり、相手を尊重することでもあるのだという考え方を整理して、パフォーマンスを下げる「心のクセ」を切り替えていきたいというようなことを話されていました。

人を思いやる心の優しさから生じる無意識のパフォーマンスの低下でしたが、小学生3年生の頃から来院されている選手であるがゆえに、このパターンがもたらす影響はよくわかります。勝つために試合をしているはずなのですが、無意識の心のどこかで相手を負かすことにブレーキをかけてしまうのでしょう。「強くなければ生きていけない、優しくなければ生きる資格が無い」という何かのセリフを思い出しますが、勝負の世界では、真剣勝負で全力を尽くすことに純粋な美しさが育まれると思いますし、勝っても負けてもそこには「成長」という未来が待っているのだと私は感じました。

2019年6月2日日曜日

運動や仕事などにおける「パフォーマンス低下」

あなたの人生で、こんな経験はありませんか?「今まで上手くできていた〇〇が、なぜか今まで通りにできなくなった・・」、「今まで〇〇がスムーズに進んでいたのに、なぜかやる気が起きなくなった・・」「練習のときには問題ないが、いざ本番になるといつものような力が発揮できない・・」など。身体の不調に連動して運動や仕事などのパフォーマンスが低下するという場合も少なくはありませんが、身体の不調は感じていないのになぜか運動や仕事のパフォーマンスが低下していたことがあるという経験は多くの人にあるようです。このような原因不明の「パフォーマンス低下」は、単に精神面が弱いといった精神論の問題ではないことが多いようです。

運動や仕事などのパフォーマンス低下で相談を受けて施術を行うと、ほとんどの患者さんは本来のパフォーマンスを取り戻すことができているようです。一体何が原因なのでしょうか?それは、個人によって様々ですが、一括りにいうと「脳の誤作動記憶」です。私たちの脳は約千億もの神経細胞からなる複雑で巨大なネットワークでプログラム化され、運動や仕事のための様々な情報を入力して学習と記憶を繰り返し、様々なパフォーマンスが自動的に出力できるよう機能しています。もしも、本来機能するはずのパフォーマンスを制限するような誤作動記憶が脳で無意識的に構築されると、脳の機能が制限されてパフォーマンス低下につながります。

身体の痛みやコリ、違和感などの身体的不調は、身体が訴えているサインです。施術経験のある方であれば、調整すればすぐに改善されると思っていただける方が多いかと思いますが、パフォーマンス低下の場合、それが施術の対象になるのか否かは分かりにくいところかもしれません。一つの目安として、「今まで当たり前の様に出来ていたことができなくなった・・」ということを感じましたらご相談ください。「身体に聞く検査」をすれば、それが「脳の誤作動記憶」によるパフォーマンス低下なのかどうかがすぐに分かります。

「脳の誤作動記憶」が過去のトラウマや無意識的なストレス、人間関係などに関係しているかもしれません。特徴として意識的にはほとんど気にしていないが、よくよく考えると関係しているかもしれないというような内容の記憶が多いようです。施術によってパフォーマンス低下が改善された患者さんの多くが、単にそのことだけでなく他のことにも波及してプラスの効果を感じてくださる方が多いようです。簡単に「年のせい・・」などと諦めないで、思い当たることがありましたらお気軽にご相談ください。


2017年7月15日土曜日

イップスの改善にブレーキをかける「技術論」とイップスにならない「コツ」

ゴルフのドライバーイップスの患者さんで、しばらく通院されて、一時改善されていたが、また、ぶり返していた。その原因の一つに「技術論」へのこだわりがあった。通院過程でフォームなどのテクニックなどに囚われすぎると、イップスの改善に影響を及ぼすということは頭では理解しても、ついついテクニック論の方へ傾いて症状の改善を遅らせていた。

なぜそこから抜け出せないのか?それを調べてみることにした。するとゴルフの技術論を追求すること自体が大好きで、そこが「快」になっているということが分かった。「ゴルフプレー」→「問題を引き出す」→「技術論で答えを模索」→「快」→「ゴルフプレー」→「問題を引き出す」→「技術論で答えを模索」→「快」→「ゴルフプレー」というような潜在的な負の習慣(パターン)が「快」にリンクしており、そのサイクルから抜け出せていないとうことが分かった。

好きだからゴルフをやっている。それはごく当たり前のことなのだが、具体的にゴルフの何が好きなのかを質問してみると、人それぞれに微妙に違うものである。だんだんと上達するという「自己成長」が「快」になっている人もいるだろう。勝ち負けに関係なく、友人とゲームを楽しむことが「快」になっている人もいるだろう。ゴルフプレーを継続する動機は人それぞれであるが、今回は隠れた動機(快)が条件付けされて、イップスの改善にブレーキをかけていたという事例である。

患者さんはそのことが心の底から理解できた様子で、撮りためていたゴルフ指導に関するビデオを見るのを辞めると宣言された。以前から技術論がイップスに影響しているのが分かっていたので、技術論から卒業したのかなと安心していたものの、心の底では抜け出せていなかったということがその時に分かった。

誤解のないように言えば、「技術」を意識することが全てイップスにつながるという訳ではない。スイングのフォームを改良して、成績が向上した人もいる。どのようなスポーツでも最初は基本のフォーム(型)を指導者から学んで、何度も練習を繰り返し、身体に覚えさせて上達していくものである。

要するに技術(テクニック)は必要だがその捉え方が大事なポイントになる。「どのような技術論がイップスになりにくいのか」、多くのイップスの患者さんたちをサポートしてきた経験からイップスになりにくい「コツ」をご紹介させていただく。これは、ゴルフのイップスに限らず、あらゆるスポーツやハフォーマンスなどのスランプにも影響を及ぼすので、参考にしていただけばと思う。

イップスにならないための「コツ」

機械論

有機論
機械論的な理論のメカニズム
より
有機論的な自然のメカニズム
細かい技術理論の指導を受ける
より
全体を見てマネして身体で覚える
部分的なテクニカル指導
例:テイクバック(ゴルフ)では決して頭を動かさない
より
全体的で抽象的な指導
例:足から手への連動が重要
腕や足の部分を意識する
より
軸や下半身など全体を意識する
部分的な身体の動かし方
より
目的に応じた自然な身体の動かし方
力やスピード
より
バランスやリズム

この「機械論」と「有機論」を比較してどのように感じるだろうか?一見すると「機械論」の方が、何か理論的で信頼できるような感じがしないだろうか?その一方で「有機論」は、抽象的で答えがないような曖昧な感じがするだろう。それは、多くの人が機械論的、あるいは科学的な教育を受けているからであるといえよう。その思考ラインで考えると、分析的、還元論的になり、身体をロボットのように考えて、部分的な理屈で問題を改善しようと考えてしまう。

しかしながら、人間は部品を取り替えれば修理できる単純なロボットではない。部分的で機械論的な理論で答えがでないことばかりの連続である。人間はむしろ全体的で有機論的な「関係性」や「つながり」で統合された生き物であることを忘れてはならない。



2016年11月17日木曜日

「頑張る」と「努力する」の違いを知って、パフォーマンスを向上させる!

私たちは、日頃から誰かに「頑張ってね」と声をかけたり、「努力しなければ」と自分に言い聞かせたりして、日常的に使います。似たような言葉ですが、大きな違いがあるあります。一般的に試合前には「頑張って〜」と応援しますが、「努力して〜」とは言いません。

「頑張る」ことや「努力すること」は美徳かのように言われがちですが、スポーツや武道の試合結果を振り返り、頑張りすぎて本来の力が発揮できなかったというアスリートの話はよくあります。しかし、努力しすぎて本来の力が発揮できなかったという話はほとんど耳にしません。「頑張る」と「努力する」は、どのような違いがあるのでしょうか?

例えばスポーツに例えると、努力して結果を出すということは、長期的にコツコツとトレーニングを繰り返し行うことで自然に結果が伴うということです。1日努力したからといってすぐに結果が出るわけではありません。トレーニングをコツコツと長期的に積み重ねることで、無意識的に脳に学習され、それに伴って身体能力が上がってくるわけです。

その一方で、頑張って結果を出すということは、短期的に、今の自分の力を発揮するということです。意識的に脳を活動させようとするわけです。つまり、頭で考えて身体を動かそうとします。「火事場の馬鹿力」という諺がありますが、その場合は、単に意識的に頑張るという以上に無意識的な筋肉の働きが作動して、普段の頑張り以上の力が発揮できるようです。

先日、バドミントンの選手が準決勝で敗れた原因を分析すると、頭(意識)で戦略を考えすぎて、本来の力が発揮できなかった可能性があるということがわかりました。アスリートが「ピークパフォーマンス」、あるいは「ゾーン」といった精神状態でプレーしている試合を振り返った場合、そのようなアスリート達は頭(意識)で考えてプレーしているでしょうか?いいえ、多くの選手は無我夢中でプレーしているのではないでしょうか?

最高のパフォーマンスを発揮したプレーヤーは、試合に集中して、自分自身に対してああしろ、こうしろなどと意識的に指示を出したり、どうしたら相手に勝てるかなどと頭で考えてプレーしていないでしょう。恐らく今まで努力してきた練習や試合の経験が脳に蓄積され、プログラム化された通りに「無意識」が身体を自然に動かしてくれるといった感じではないでしょうか。

無意識だからといって何も考えていないわけではないでしょう。「雑念がない」という言葉の方が適切かもしれません。いつもの練習通りに、あるいはそれ以上に相手への意識が高まっているかもしれないし、シャトルやコートに意識が集中しているかもしれません。どこへ動き、どこへ打つかは、今まで培った練習の成果や経験で脳にプログラム化されているはずです。脳に蓄積されたプログラムを信じて、あとはそれに委ねるだけです。

試合でベストなパフォーマンスを発揮するためには、頭(意識)で「頑張る」というよりも、今まで培った努力の成果を無意識に発揮させるということになるでしょう。試合の戦略、戦術も練習で努力して脳にできる限りプログラム化し、本番ではそれを無意識的に使うということになるでしょう。何をするという意識的な命令ではなく、それはあたかも「自然」に動いているという感じで最高のパフォーマンスに達するのだと思います。

試合中では、瞬間瞬間に様々な動きが要求されます。肉体のどこどこの部分にどのように動けと意識して考える余地は残されていません。いわんや、戦略を考える余地などないはずです。自分の努力の成果によって無意識に発揮できる自分自身を信頼して、無我の境地でプレーするのがベストなのです。