先日、バドミントン選手の施術をさせていただいて、とても興味深いパフォーマンスの問題が判明しました。患者さんもその気づきを得て、なるほどとすごく納得していました。以前から利用していただいている選手でカナダでの国際試合から帰国してすぐに来院していただきました。いつものように関節や筋肉の調整の後、患者さんから前回の試合で、得点をリードしていたのに追いつかれて逆転されて負けたので何かパフォーマンスに問題がなかったか検査をしてほしいとのことで、検査をすると誤作動記憶の陽性反応が示されました。
このパフォーマンスの誤作動記憶という意味は、本来の実力が引き出されていなかったという意味です。そこには無意識的な「心のクセ」が隠れていました。まず、ある程度点差が開いていたにも関わらず点差が縮まってきた場面を想像してもらいました。そこで生体反応検査法(PRT)を行うと陽性反応が示されました。無意識に関連するキーワードを検査すると「慈悲心」というキーワードが示されました。最初はそのキーワードにどのような関係性があるのか分かりませんでした。相手の選手に慈悲の心が生じたということなのですが、よくよく思い起こすと以前にもそのようなキーワードが示されていました。
それは、対戦相手が先輩のケースで示された「慈悲心」でした。勝負の世界なので相手を負かすということは当たり前のことと頭では理解していても、無意識の心は、先輩を負かしてしまうと悪い、先輩は尊重しなければ・・・というような錯覚に脳が陥っていたようです。その時は、先輩であろうが真剣勝負で全力で戦うことが相手を敬うことであり、先輩を尊重することだという気づきを得ました。そして、試合以外の活動では先輩として敬意を払い先輩を敬うことを大切にする・・・ということで整理がついていたようでした。
今回は、先輩でもない海外の相手なのにどうして?ということで、いろいろと考察されていました。すると、自分よりも格下の選手と練習する際、自分が本気で対戦すると相手の練習にならないので、相手にとって練習になるように少し手を抜くように練習しているとのこと。恐らく、本番の試合でも、ある程度点差をリードした際に、そのパターン(誤作動記憶)が出たのかもしれないと振り返っていました。そして、今後は、相手が格下の選手でも全力で対戦して練習することが相手のためにもなり、相手を尊重することでもあるのだという考え方を整理して、パフォーマンスを下げる「心のクセ」を切り替えていきたいというようなことを話されていました。
人を思いやる心の優しさから生じる無意識のパフォーマンスの低下でしたが、小学生3年生の頃から来院されている選手であるがゆえに、このパターンがもたらす影響はよくわかります。勝つために試合をしているはずなのですが、無意識の心のどこかで相手を負かすことにブレーキをかけてしまうのでしょう。「強くなければ生きていけない、優しくなければ生きる資格が無い」という何かのセリフを思い出しますが、勝負の世界では、真剣勝負で全力を尽くすことに純粋な美しさが育まれると思いますし、勝っても負けてもそこには「成長」という未来が待っているのだと私は感じました。
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