2012年10月28日日曜日

環境を変えるよりも自分を変える?

ある患者さんが、「この病気の原因は今の職場なので、職場を変えたい」という願望があるとのこと。でも生活や今後の将来のために、すぐにその環境を変えることが出来ないという。あと二年ぐらいは何とかそこで頑張らねばならないという。神経反射反応ではその矛盾で誤作動反応を示した。

コーチングによる様々な角度からの質問により最終的には自分自身を変えることに意識を向けたほうが柔軟性が高まり、自分の将来のためになるということに気づかれた。これはとても大切な気づきを得たということはご本人も自覚されていた様子。

通常、何か問題があると、他人や組織などの周りの環境が原因だと外に目を向けがちになり、自分の内なる原因には目を向けようとしない。自分の身を守るために外にばかり目を向けて外敵から避けようとする。

もしも、知らない間にそのようなクセがついてしまうとどうなるだろうか?問題が生じると自責よりも他責に目を向ける癖がつく。極端な言い方をすると、周りの人や環境は「加害者」で、自分は「被害者」になるという構図を知らず知らずに作ってしまうかもしれない。

被害者になる癖がつくということは、自分が加害者にならないように、常に外に加害者を創り出すということでもある。もしも、目の前にある環境は、自分が選択して、自分が創り出した環境であるという思考が働いた場合どうだろう?

「誰の責任」とか、「正しいとか正しくない」という議論もあるだろうが、自分自身や周りの人や環境を非難するという思考よりも、「自分が創り出した環境であるのなら、自分で創りかえることができる」と考えてみよう。

恐らく、「相手が・・・だから・・・できない」、「組織や会社の方針が・・・だから・・・できない」という反論があるかも知れない。

しかし、できない理由を見つけるよりも、できる可能性を見つける方が賢明ではないだろうか?もしも、人間として成長したいという前提があるのなら、できない理由を探すよりも、できる可能性にチャレンジする方が明らかに成長への切符をたくさん手に入れることができるだろう。

ノーベル賞受賞者や発明家などは口をそろえていう。それは、「多くのチャレンジ、失敗があるが故に、偶然にその成功がつかめた」ということ。偉大な発明でなくても、私たちは人として「成長」するために、実生活の中で失敗を恐れずに、繰り返しチャレンジし続けることが必要ではないだろうか?

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