「閃きは人間内面の成長の原動力」として、賢人の言葉を紹介していた。
斎藤一斎は「大上は天を師とし、その次は人を師とし、その次は経を師とす・・」もっとも優れた人は人や本からではなく、天から直接学ぶという。人は閃いた時、「何か(閃き)が上から(天)から降りてきた」などということがあるが、天から教えてもらったという意味であろう。
成功した経営者や後世に何かを残した人、あるいは心に残る名曲を作った人などは、ふとした時に閃くということをよく聞く。忘れない様にメモ帳などにそのアイディアを書き残しているという。天から降りてくるというよりも、その人の無意識レベルの脳が今までの情報を整理して意識化しているのだろう。
このような価値のある閃きは、単に脳の訓練をするとか、瞑想をするとかで簡単に出てくるものではないだろう。そのような訓練も大切だが、その閃きの背後には様々な経験や知識の積み重ねによる努力が蓄積されているはずだ。
経営の神様といわれている松下幸之助氏も閃きの基本は「熱意」だという。「熱意が基本にあると、絶えず、寝ている間でさえも考えるようになる。僕は寝る間も惜しんで仕事をしてきた。・・・そうなると不思議なもので新しいことが浮かんでくるものだ。浮かばないとすれば、それは熱意が足りないことにほかならない」という。
また、稲盛和夫氏も「情熱」を大切にしてきた人だが、「来る日も来る日も顕微鏡をのぞいていたら、顕微鏡の向こうに宇宙が見えた」「宇宙には知恵の蔵のようなものがあり、必死に研究に打ち込んでいると、その知恵の一端に触れ、画期的な新材料や新製品を世に送り出すことができた・・・」と述べている。
つまり、純粋に何かのために努力をしてきた人には何かの知恵が天から与えられるということだろう。一時的な情熱なら誰にでもできるが、何年も何十年もその情熱を持ち続けることは並大抵のことではない。情熱の質には色々あるだろうが、密かな情熱を持ち続けて、純粋に努力をし続ければ、その努力は裏切らないだろうし、その努力に対して天は「閃き」を与えてくれるのだろう。
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