2019年7月11日木曜日

治療者の「志」

先日、セミナー後の懇親会で若い先生方とお話しする機会を得ました。それぞれに課題があり、毎回同じ症状を訴える患者さんのことなど色々な話題がありました。開業して1年目で経営的に苦労されているという先生もいました。私も経験がありますが、開業1年目はこの先どうなることかと不安がよぎることが多々ありました。1年目、2年目、3年目と患者さんとのご縁と信頼関係で不安を乗り越えていくことができました。当時はインターネットの普及率が数パーセントの時代でしたので、現在のようにネットを通じて広告するというようなことはない時代でした。でも、開業してからの25年を振り返ると、広告ではなく、口コミによる信頼関係によって支えられたのだと思います。

あの苦しい時期をどのように乗り越えたのか、何が良かったのかは一言で答えることはできません。「運」が良かったから、あるいは「お陰様で」ということは言えると思います。でもその「運」をどのように創ってきたのかという観点で見れば、色々な要因があると思います。一つ言えることは、ハウツウ的なテクニックで患者さんが集まってきたのではないことははっきりと言えます。開業して間もない先生にとっては、何かいいアドバイスはないかと悶々としているのではないかと察しますが、コーチング的に言えば、答えはご本人が持っているのだと思います。

敢えて、私の経験を振り返って見ると、なぜ、治療者【鍼灸師、柔道整復師、カイロプラクター(DC)】という職業を志したのか、そして、なぜ、カイロプラクティックの治療院を開業したのかという動機に邪な志がなかったかどうかだと思います。邪な志が全くなかったのかと問われると、全くなかったとは言い切れませんが、軸足としては高い志を目指していたと思います。私を支えてくれた父は、私の留学時代に長い手紙のやり取りの中で、人としての在り方を教えてくれていたように思います。また、整骨院修行時代でも、そこの院長が臨床家としての在り方や人としての義理や人情を教えてくれました。その教えにはどのように患者を集客するなどといった教えは一切ありませんでした。

さらに、治療院経営者としての在り方を学ぶために、患者さんからご紹介いただいた経営人間学講座にも10年ほど参加させていただき、中国の古典や帝王学などから解説された経営者としての在り方も学んできました。そこでもお金儲けの話などは一切ありませんでした。私が現在治療者として生かされているのは、運良く人としての在り方を教えてくれた何人かの恩師に巡り会えたお陰だと思っています。人間学だけでなく、治療に関係する学術的なことも継続的に学んで来ました。振り返ると「人間学」と「治療技術」を両輪のように熱心に学んだ時期は患者さんも右肩上がりで増えてきていたと思います。

昨年ごろより、社内でスタッフと共に「人間学」の勉強会を再開していますが、その勉強の深さに伴って、患者さんもだんだんと増えてきているのが分かります。なぜ、「人間学」を学ぶことで患者数が増えるのか?色々な要因があると思いますが、一つは、チームで同じテーマを話し合うことで、共通の理念、志が自然に生まれてくるのだと思います。人としての在り方を深く洞察して自分の言葉で語ることで自分を深く反省し、思考の枠組みの幅が広がってきます。その結果、自然に患者さんとのコミュニケーション力が変化して、マニュアル的に接するのではなく、心と心、魂と魂との触れ合いへと進化し、一人一人の患者さんのニーズを自然に察知できるようになるのだと思います。

人と人の触れ合いの質が高まると、必然的に来院してくださる患者さんの満足度も上がり、困ったことがあれば相談してくださり、知り合いに困っている人がいればご紹介して下さるのだと思います。治療者の基本は、治療技術も大切ですが、人としての在り方がそれ以上に大切で常に磨きをかけていかなくては、治療者としての存在価値が上がらないのではないかと考えます。

経営の神様といわれたピーター・ドラッカーの著書の中で語られている有名な寓話として、「3人の石切り工」の話があります。旅人がある町を通りかかると、3人の石切り工が働いていました。そこで、「あなたは、何のためにこの仕事をしているのですか?」1人目の石切り工に尋ねました。すると、「生活のために働いている」と答えました。次に2人目の石切り工に尋ねました。すると、「最高の石切りの仕事をしている」と答えました。最後に3人目の石切り工に尋ねました。すると「教会を建てている」と答えたという寓話です。この話は様々な職種のリーダー達に語り継がれています。

この寓話を治療者として経験を交えて解説してみたいと思います。結論的に開業25年を振り返り、私の中には3人の石切り工の要素が含まれていたと思います。開業当初はこのままで治療院が継続できるのか、生活のために他の職種につかなくてはならないのではないかという一抹の不安を抱えながら仕事をしていました。それから治療院が安定してくると、修行時代からの課題である最高の治療技術を身に付けたいと治療法の勉強や臨床研究に熱心に取り組みました。そして、自然療法の本質がある程度見えてくると、その治療法を広めて大きな組織(教会)を創って、多くの人に貢献したいと考えるようになりました。そして、現在では地域の方々に喜ばれ信頼される治療院経営とさらに治療法を進化させ、治療者の先生方にその治療技術を広める活動を行なっています。

振り返ると、私の思考の多くが「なぜ・・・」ということが基本にあり、「どのように・・・」というのはあまり重要ではありませんでした。現在でもまだまだ臨床で研究し続けていますが、イレギュラーな現象があると常に「なぜ・・」という思考が働きますし、経営に関しても「なぜ、治療院を経営しているのか」という原点になる問いかけは忘れないようにしています。治療法、経営、そして人としての在り方に関しての勉強はこれからも永遠に継続していきたいですし、さらに磨きをかけることで多くの人に喜ばれる自分になれることを信じています。

「どんな職業の人もその職業に死ぬ覚悟がないと本物になれない」という言葉があります。以前、弊社が主催するコーチングのトレーニングで、あるワークをしていた際、自分は今の仕事に命をかけているのだということを知ることができました。自分を客観的に観ることでなるほどと思いました。命をかけるというと、何か悲壮感が漂うかもしれませんが、私にとって命をかけることのできる職業に巡り会えたことは何よりの喜びであり、これからの100年時代に向かってこの職業をさらに価値あるものに引き上げて、同志を増やし喜びの輪を広げていきたいと思います。

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