2018年4月19日木曜日

第73回AMセミナー

AMセミナー活動も17年目。多くの受講生がAMの技術技能を修得して、開業されて盛業している話を耳にするようになった。AM認定者が熟練者と呼ばれるようになり、セミナー会場で、初心者に丁寧に教えてくださる光景もそう珍しくはないようになってきた。「初心者」、「認定志願者」、「認定維持者」という3タイプの受講者がバランスよくチームとして学びを深めている様子がうかがえた。

私がAMセミナーを開催させていただいた当初、短い時間ではあったがAMセミナーの合間に、患者教育や治療哲学、さらには人間学のプレゼンもさせていただいた。要らぬお世話と言われそうだったが、人間力を一緒に高めていきましょうという願いから、「致知」という人間学雑誌もAMセミナーで紹介させていただいた。「致知」の購読はかれこれ約20年になり、今でも人間学の勉強は継続している。現在のAMセミナーでは、患者教育や治療哲学のプレゼンはほとんどしていないが、最近ではそのニーズもなんとなく感じる。

また、SNSSOE対策などのインターネットによる集客に力をいれている開業者も増えてきている。そのような知識や技能も盛業に大切だろう。しかしながら、長い目で見ると患者さんとの深い信頼関係を構築するには、治療家としての人間力が問われる。私は長年のセミナー活動を通じて、多くの先生方との出会いがある。直感的ではあるが、人としての魅力を感じる先生に対しては、多くの患者さんに喜んでいただいていることが想像できる。

多くの患者さんから信頼される治療家になるためには、単に知識、技術だけの能力だけでは貢献できない。人としての「在り方」「人間力」が問われる。どの職業でも同じではあるが、人間力を磨き続けることは必要不可欠だろう。人に役立つための根底には「能力」よりも「人間力」が求められるだろう。人間力というバックボーンがあっての知識や技術的な能力が必要である。LCAでは単に技術技能を提供するだけでなく、治療家としての在り方も深く追求し続ける学習共同体でありたい。


2018年4月11日水曜日

患者(クライエント)への「質問力」その10【フィードバックのスキル】

患者(クライエント)への「質問力」その10【フィードバックのスキル】

コーチングのスキルの中で、フィードバックというスキルがある。治療者(コーチ)が相手の鏡になったように、相手の表情や使った言動を客観的に伝えたり、治療者が直感的に感じたことを自分のメーセージとして、評価や判断を入れずにありのままに伝えるスキルである。例えば、相手が「〜された」とか「〜と言われた」というような被害者用語を繰り返し使っている場合、治療者は「あなたは、以前から『〜された』という言葉を多く使われているようですが、自覚はされていますか・・・」というようにフィードバックすると、患者(クライエント)は、「はっ」と気づいて、変化が促されることも少なくはない。このようなフィードバックは、相手を批判しているかのように受け止められる危険もはらんでいるが、あくまでもクライエントの鏡になって無意識的な心の癖をフードバックすることで、クライエントが気づかない盲点の視野を広げる手助けになる。

フィードバックの中には、相手の話す内容を整理して一つのキーワードで表現したり、相手の話した内容をまとめて表現する「要約のスキル」もある。対話の中で、相手が話している内容にまとまりがなく、話している本人も話の内容を整理できない場合がある。その場合、治療者が「それは、〇〇ということでしょうか?」と話の内容の要点を整理して言い換えることがある。もしも、その要約が相手の話したい内容にぴったりであれば、よく理解してくれていると相手は感じる。対話の中では、できるだけ相手が使っている言葉を大事にして「おうむ返し」をした方が、信頼関係を得やすいが、話の内容がまとまりがなく整理が必要な場合は、あえて、異なる言葉で言い換えたり、要約することで信頼関係を深めることができる。だが、相手が慣れない言葉で表現をしてしまうと相手との距離が離れてしまうこともあるし、相手が伝えたい内容の意図とは反する言葉で言い換えてしまうと、信頼関係を損なう要因にもなるので注意が必要だ。

相手の話をまとめたり、整理をする要約のスキルを使った以外に、相手の気持ちを察して先取りして共感するスキルもある。例えば、子育てのストレスを抱えて体調不良を生じさせているようなクライエントであれば、お母さんに、「お子さんは何歳ですか?」と尋ねて、お母さんが、「2歳です」と答えたとする。治療者が「その年頃は大変ですよね・・・」と共感のフィードバックをすると、相手は「私の置かれた立場をよく理解してくれている」と受け止められがちになり相手との距離が縮まる。けれども、やみくもに共感すれば効果が得られるというわけではない。子育ての経験もないのに共感をしても、不自然になるだろうし、相手の痛みや苦しみは本人でしか分からないことも多々あるので、相手の立場にたって正直に感じたままをフィードバックするのが信頼関係を気づくコツになるだろう。

また、クライエントの苦しみや悩みを共感しながらも、治療者は第三者的な立場で、クライアントがその負のサイクルから抜け出すことのできる視野を広げ、幅広くフィードバックすることが大切で、共感して患者の立場に入り込んだり、第三者の立場で引いたりしてバランスよくフィードバックしながらクライエントをサポートしていくことが大切だろう。

2018年4月6日金曜日

患者(クライエント)への「質問力」その9【傾聴のスキル1】

患者(クライエント)への「質問力」その9【傾聴のスキル1】

治療者は患者(クライアント)が何を求めて来院されたのかに関心を寄せ、患者のニーズをしっかりと把握することが必要になる。そのために患者に寄り添いながら傾聴の質の向上を目指さなければならない。傾聴の質を高めるためにはいくつかのスキルがある。最初のスキルは「あいづち」と「うなずき」である。それらは、言語的には「ええ〜」、「はい〜」、「そうですね〜」、「なるほど〜」、「ほ〜」などで相手の承認を促す。非言語的にはうなずいたり、会釈をしたり、アイコンタクトをしたり、身を乗り出したりして相手の話に興味を示す行為がある。言語的にも非言語的にも対話の中で相手の「あいづち」と「うなずき」があると、真剣に傾聴してくれているというのが分かるので話しやすいというのは誰もが経験していることだろう。

また、相手の話すペースや姿勢に自然な感じで合わせることでさらに話しやすさも増すだろう。これを「ペーシング」、「ミラーリング」とコーチングでは呼ばれており、相手が話しやすい状態を作り出すことをいう。例えば、対話の相手が腕組みをしていたり、足を組んでいたりすると、あいづちやうなずきがあっても心を開いた対話は期待し難いだろう。ただし、ただ単に「あいづち」と「うなずき」があればいいというものではない。時折、対話で絶え間なくうなずく人もいるが、「本当に理解しているのだろうか?」「理解してくれているようだが、表情が不自然に感じる・・・」などと、何となく心の奥で違和感を感じることがある。その場合、表面的には問題のない対話に見えても、心の奥に響くような対話にはならないこともある。あえて言えば、表面的なテクニックで飾られた「建前」の対話という感じになるのだろう。心に届く「本音」の対話をするために、まずは、心から相手の立場に立って相手の心に寄り添って、判断や評価を入れない傾聴が求められるだろう。

初対面の相手に対して、相手の立場になり、相手の心になるというのはそう簡単にできるものではないだろう。ある程度の対話を重ねていく中で相手の置かれている立場や状況が見えてくる。そうすると相手の立場に立って相手の心に寄り添いやすくなる。だが、クライエントをサポートする立場にある治療者が全面的に相手の立場になることができれば、クライエントをサポートしやすくなるのかというとそうでもない。それはなぜかというと、もしも、完全にクライエントの立場になりきってしまうと、クライエントと同じ目線になり、クライエントが気づく必要のある盲点も見えなくなって、視野が狭くなる場合がある。相手の立場になりつつも、第三者的な立場をとって、客観的にクライエントの置かれている状況を認識する必要もある。治療者は、クライエントの立場になったり、一歩引いて客観的に見たりしながら、クライエントに寄り添って承認するスキルが求められるだろう。

対話の際の表情や姿勢などの外的な要因と合わせて、思考や心の内的な要因も大切である。聞く態度に問題がなくとも、相手が話している内容や心情をしっかりと理解できていなければ、対話が弾まなくなり相手はその不自然さに違和感を感じるだろう。相手の話す内容をしっかりと理解して、相手が言わんとしていることを把握している人は、対話の中で時折、話の要点となるキーワードをポツリと相手に返すことがある。これは「おうむ返し」というように呼ばれることもあるが、「おうむ返し」のスキルは単に相手の言葉を真似るのではなく、相手の話の中で要点と思われる「言葉」をうなずきながら繰り返すスキルである。相手の話の内容をしっかりと理解せず、あまり意味のないところで言葉を引っ張り出して「おうむ返し」を使うと、相手は共感を得られずに対話の距離が離れてしまうかもしれない。

2018年3月30日金曜日

花粉症の改善 

花粉症の改善      201845FCCニュースレター

この時期になると、花粉症の話題があちらこちらで目につくようになります。当院でも花粉症の症状を訴える患者さんも増えていますが、その一方で、「今年は花粉症がいいみたいです・・・」と改善の報告をしてくださる患者さんもいます。この時期に鼻水や目のかゆみなどの症状が現れると、それをひっくるめて「花粉症」と呼ぶことが一般的に定着しているようです。しかしながら、当院で症状の原因を検査してみると、単に花粉だけではなく、PM2.5などの大気汚染物質や繊維類などにも条件付けされて、症状を引き起こしている方も少なくはありません。

花粉症の原因は患者さんによって様々です。花粉症を改善する上で、大切なのは「無意識」との関係性です。無意識的に条件付けされた感情や信念(思い込み)などが、アレルゲンと共に組み合わさって脳に記憶され、自動的に症状が引き起こされている場合もあります。花粉の時期と関係する3月や4月は、卒業、入学、あるいは転勤、転職などが多く、そのような環境の変化に伴って心も動きやすい傾向があります。人との出会いや別れ、あるいは喜びや悲しみなどで涙が関係する時期でもあるでしょう。

そのような感情が関係する際、涙と同時に鼻水が出てきます。今にも泣きそうな感情に加えて、花粉などのアレルゲンに刺激されるとさらに涙や鼻水が出やすくなります。もしも、そのような潜在的な悲しみの涙が花粉のアレルゲンと組み合わさって条件付けされて脳に記憶されると、花粉のアレルゲンによって刺激されることで、悲しくなくても悲しみ状態のスイッチが入り、涙や鼻水が出やすい症状が再現されるというわけです。

これは、長年の臨床経験に基づく独自の仮説ですが、全ての花粉症が悲しみの潜在感情に関係しているわけではありません。隠れた信念などの「心の枠組み」が関係している場合もありますし、単に花粉やほこりなどのアレルゲンが条件付けされている症例もあります。また、何年も花粉症状が継続していると、アレルギー症状を起こすのが当たり前かのように脳が学習してしまっている方も少なくはありません。それは、経験や情報によって意味づけされた結果による症状なので、その原因に対する治療が必要になります。

このような治療法はまだまだ知られていませんし、半信半疑の方も少なくはないと思いますが、治療法を理解していただいている方はほとんど治療効果が示されています。最近の風潮では、「治る」という情報は無く、「花粉を避けましょう」という情報ばかりが飛び交っており、あたかも誰もが花粉症になるかのような報道が目立ちます。外に出る際にはマスクするのが当たり前という人も少なくはないと思います。しかし、数年来花粉症に悩まされていた患者さんが、当院のアレルギー治療で改善され、「花粉症が治るということを知らなかったあの数年の花粉対策(マスクなど)は何だったのだろうか」ということも話されていました。

花粉症などのアレルギー症状は、人それぞれに原因が異なり、治り方もそれぞれですが、当院の治療で多くの方が改善しています。お悩みの方はぜひご相談ください。

2018年3月17日土曜日

生体反応検査法の極意  その3(患者との「波長」を合わせる)

生体反応検査法の極意  その3(患者との「波長」を合わせる)

生体反応検査法は生体エネルギーを読み取る検査法なので、様々な患者に応じて「波長」を合わせなくてはなりません。「波長を合わせる」とはどのようなことでしょうか?通常のコミュニケーションにおいても相手の話し方のリズムやタイミング、声のトーン、あるいは、相手の姿勢に合わせると、相手は心地よく心を開き話しやすくなります。また、単に表面的なことだけでなく、内面的に相手の立場に立った心の姿勢で話を聞くと、相手はそのことを悟り、さらに打ち解けやすくなります。

通常、西洋医学の思想を基準にした治療法では、「検査する側」と「検査される側」あるいは、「治療する側」と「治療される側」との信頼関係に基づく心の交流や気持ちの交流がバラバラであっても検査や治療技術さえ高ければ何ら問題はないという考え方が多いかもしれません。例えば、骨折や虫歯の治療などでは治療者と患者との「波長」が合う、合わないということが治療効果に影響を及ぼすというよりも、むしろ、治療者の技量や経験に委ねられます。その一方で、患者の身体を使った生体反応検査法を基軸にして患者自身の自然治癒力を引き出す自然療法において、「検査する側」と「検査される側」、あるいは「治療する側」と「治療される側」の心の交流や気持ちの交流は必須条件になります。

PCRTのような自然療法の本質を深めた治療家の多くは、症状の本質的原因に関係する人間の反射機能や脳の認知に注目します。治療者は患者と共に生体反応検査を進めていき、患者に検査結果の理解を深めてもらいながら治療効果を患者と共に共有していきます。東洋医学的にいうと気を通わせながら検査と治療をすすめていくということになります。そのような患者と共に創り出す治療法とは対照的に西洋医学の思想に基づいた現代医療に慣れ親しんだ治療家や患者さんは、治療者に「お任せする」という感覚が多く、治療者と一体となって治療を進めていくという感覚は少なくなります。患者と一体となって本質的な治療法を進めていくと、だんだんとなぜ治るのか治らないのかが明確になって、患者自身が本来持っている治る力を信じられるようになります。

また、治療者が単に治療テクニックだけでなく自然療法の本質を深く理解し始めると、その本質を患者に伝えて理解してもらう方が治りが早いということが分かってきます。そうなると患者に理解してもらうためにその本質の説明をしたくなるのですが、西洋医学の思想を強く信じている患者にとっては、生体反応検査法の原理原則や自然療法の本質を説明されればされるほど、不信感が増してくるかもしれません。西洋医学で行われる画像診断や数値で示される血液検査などは信頼しても、身体を使った「生体反応検査法」は理解できない、信用できない、胡散臭いという方が少なくはありません。その場合、治療者と患者との「波長」が合わなくなって、検査結果も不安定になり治療効果も引き出せないということになりがちです。


前述のように信頼関係に基づく患者との波長合わせは、正確な生体反応検査法や治療効果を引き出すためには必須条件になります。治療者は患者が求めているニーズを見極めて、西洋医学的な考え方に類似した理論に基づく治療法を選択して進めていくのか、もしくは、自然療法の本質を理解してもらい一歩踏み込んだ本質的な治療法で進めていくのか、患者の理解度や求めているニーズに合わせて進めていく必要があるでしょう。自然療法の本質の一つとして、生体エネルギーを対象に調整を行なっているという事実があります。生体エネルギーは「気」、あるいは「波長」という言葉で表現されます。人との関係性においても理屈抜きで「気」や「波長」が合わないと感じることがありますが、治療者は選ばれる立場であり、受け入れる立場ですので、幅広く人を受け入れる度量(波長)を広げる訓練や人間修行は、生体反応検査法の資質を高めるためにも必要になるのではないかと思います。

2018年3月14日水曜日

2018年度PCRT研究会の基礎1を終えて

2018年度PCRT研究会の基礎1を終えて

私は、先日の研究会で密かに喜びが膨らんでいます。ここ数年の研究会でPCRTの本質を深く理解していただき、実際の臨床現場においても結果を出している先生方が増えてきているのを実感することができました。また、今年から、新しく開発した生体反応検査法の教授法を今回の基礎1の研究会で試したところ、多くの先生方が短期的に習得しやすくなっていることを実感できました。


今年で14年目となるPCRTの基礎1の研究会は、昨年度からすでに大きな転換期を迎えていることを感じていました。今回の洗練された基礎1の研究会でそのことを確信することができました。本研究会で目指しているのは実際の臨床現場で患者さんに貢献できる治療家の育成です。実際に結果が出せる本物の治療技術を提供していると自負しています。ここ数年間、LCAのスタッフと共にプログラムの内容を試行錯誤してきましたが、ようやく教育システムとしてのプログラムの花を咲かせることがでてきました。これからも他のLCAのプログラムと共にコツコツと花を増やし、問題を抱えている多くの患者さんに貢献したいと願っております。

2018年3月7日水曜日

患者(クライエント)への「質問力」その8【関心のベクトルを合わせる】

患者(クライエント)への「質問力」その8【関心のベクトルを合わせる】

通常医療では、専門分野に分かれているので、患者が求めているニーズや関心の寄せどころも分かりやすい。しかしながら、慢性症状になると関心の寄せどころも様々になる。事故などによる急性症状の場合は、身体的な構造や機能的な異常に関心を寄せることが最優先される。通常医療では慢性症状を抱えた患者の場合でも、まずは身体の構造的、並びに機能的な問題がないかどうかの検査が行われる。もしも、身体的な異常が見つからない場合は、メンタル面との関係性が疑われ、心療内科の受診を勧められることが多い。もしも、患者自身もメンタル面との関係が身体の症状に影響を及ぼしているという理解があれば、治療者と患者との関心の寄せどころが共通するので、関心のベクトルを合わせることで治療もスムーズに進みやすくなる。

その一方で、本質的な問題にメンタル面が関係しているにも関わらず、患者や治療者がメンタル面に関心を寄せずに、本質的な問題解決に至らずに症状が長引くことがある。メンタル面が関係しているか否かの判断は、目で確認できるものではないので治療者の経験や洞察力が求められる。経験のある治療者がメンタル面の関与を確信したとしても、患者自身が自らの心の影響に関心を寄せなければ、両者の関心のベクトルがずれてしまい治療は進展しなくなるだろう。症状の改善を遅らせる例としてよくあるのは、画像診断などで構造異常が見つかり、本来はその構造異常が症状の原因ではないのに、その構造異常ばかりに関心を寄せて、本質的な原因となるメンタル面に関心を寄せない場合である。

本質を見極めることに長けている治療者であれば、例え構造的な異常が見つかったとしても、その異常は症状に関係していない可能性があることを患者に丁寧に説明して、メンタル面との関係性にも関心を寄せるように促すだろう。また、慢性症状の原因がメンタル面に関係しているということに対して否定的な治療者であれば、メンタル面との関係性にはほとんど関心を寄せずに、身体的な構造異常や機能異常にばかり関心を寄せて本質的な原因から目を反らしてしまうだろう。人間は機械仕掛けのロボットにように構造的な問題だけ、あるいはメンタル的な問題だけというように両者を白黒分けることはできない。心と身体は有機的につながって様々な環境に適応しながら、自然治癒力を保ち続けている。

本質的な原因がどこに関係しているかの探索は治療者としての重要課題である。臨床経験のある治療者が症状の原因はメンタル面との関係性にあると直感的に感じたとしても、患者自身がメンタル面に関心を寄せなければ症状改善には結びつかない。身体の症状は身体の問題であり、心の問題にしたくない患者も少なくはない。その場合、術者が無理にメンタル系の施術を勧めても治療効果は期待できない。メンタル系への治療は、患者と術者との関心のベクトルが一致して初めて得られるもので、治療者の技量や経験だけでは結果が得られるものでない。