2011年11月5日土曜日

「愛着」と「関与」の関係

人や組織との関わりの中で繰り広げられる「関与」と「愛着」の関係性を考えてみたい。人や組織と関わる時間やエネルギー、決意などが高まると、相関的にその人や組織への愛着も高まってきて、様々な感情が渦巻く状態になる。その一方で、人や組織と関わる時間やエネルギーが低いと愛着は低くなり、関心も低い状態になる。

特に親子関係などは典型的な例である。関わる時間やエネルギーのかけ方が高まると、愛着や思い入れも高まって、様々な感情も高まり、問題も生じやすく、ストレスにもなりやすい。人間にとって「感情」は、人間形成、人間味を増すためにはとても大切なエネルギー源であり、その感情のエネルギーがなければ、人間は無関心になり、人間味が低下する。

人間関係を良好に保つために、「ある程度の距離感を持ってお付き合いする」、あるいは「6割程度でお付き合いする」というアドバイスがある。この「距離感」と「6割」は何を示しているかと云うと、関与する時間、エネルギー、決意する深さなどのことで、その「関与」が高まると、「愛着」も高まり、様々な感情が渦巻いて、ストレス状態が生じやすくなるということである。

車の運転に例えると、前方の車に近づきすぎて走行すると、常に意識を集中しておかなければならない。もしも、前方の車が急ブレーキを踏んだりすると事故に巻き込まれる恐れもでてくる。しかし、十分な車間距離を保って運転していれば、万が一の急ブレーキや事故にも備えることができる。

ただ、人間関係や組織との関係において、どの程度関われば良いのかと云う、数値的な基準などは分からない。これは、人それぞれの感覚でしかない。愛着度が高まって、ストレスになるのであれば、関わり過ぎるのは止めようということになると、関与の程度が低くなり、効果的な行動につながらずに達成感や満足度も低くなり、人間としての味わいも感じられなくなるかもしれない。

大切なのは、このような「関与」と「愛着」の関係性を知った上で、必要な時には「関与」を高めたり、距離を意識したりすることでその関係性を自分で上手にコントロールするということではないだろうか。

2011年11月3日木曜日

「期待」と「満足」のコントロール

多くの人は、さまざまな事柄に対して期待や希望を抱く。もしも、自分が思い描いている期待通りの情報やモノが手に入らない場合、失望感が生じる。その一方で、大きな期待を抱いて、その通りの情報やモノであれば、あまり喜びが得られないだろう。また、期待以下であれば、満足度は低下するだろう。

期待の持ちようは人それぞれだが、このように情報を提供する場合、期待の持たせ方次第で、実際にその情報やモノを得た時の満足度は大きく変わる。そのような意味で、期待度のコントロールは、満足度の調整に連動する。

私たちは主催しているセミナーの広告として、「今度のセミナーはすごくいいですよ。」と、自分たちが感じたままに正直に伝えているのだが、その伝え方次第で、相手に期待を過剰に抱かせ過ぎると、満足度の低下にもつながりかねない。

人それぞれに脳のフィルターは異なるので、こちら側がすごいと感動したことが、相手が同様に感動するとは限らない。そのような意味も含めて、むしろ期待はほどほどに抱いていただく程度のほうが満足を保つことができるのかもしれない。

前回、PCRTの研究会で持続圧の手法をご紹介する際、今までにないコンセプトと検査法だっただけに、伝える側としては、とてもワクワクした。しかし、実際に伝えてみると、最初はその検査法の価値に気づく受講者は少なかったように感じた。

初めて紹介したということもあって、「情報を伝える側」と「受け取る側」のギャップが見えていなかった問題もあっただろう。伝える側としては、わかりやすいように伝え方を準備したつもりでも、「そうか、ここのポイントをもっとわかりやすく伝える必要があるのか・・・」などと、伝えて初めて分かることも多々あった。

最近、眼球ポジションを使った手法を応用している。これは、めまいの検査法、施術法に類似しており、以前にも研究していた手法ではあるが、ブレインマップのコンセプトと合わせて、よりシンプル化して使いやすいように工夫した。これは、頑固なセルフイメージの施術にも応用できるので、ハード面の施術としては持続圧振動法と同様に効果が高い。

それ故に、今度の研究会でも「すごいですよ」と言いたいところだが、あまり、期待度が高いと、満足度に影響を及ぼすので、「PCRTを継続して受講され、試行錯誤を繰り返している先生にとっては、とても役立つ手法になりますよ」とだけお伝えしたい。

でも、伝える側にとっては、本当は「すごいですよ」と言いたい。すでにこのブログを読んでくれている方にとっては、今回のような期待度のコントロールは意味をなさないかもしれないが、人間の心理というものは、実に奥深くて面白い。

2011年10月23日日曜日

「期待」と「判断」と「被害意識」の関係

人が意識的にも無意識的にも「ストレス」を感じる場合、「被害意識」につながっていることが多々あります。人は様々な場面、あるいは人間関係において、相手に期待し、判断して、その結果「被害意識」が生じます。その時、その期待や判断は当然のことであり、それが、「真実」であるかのように考えて、相手に対して「~すべき」あるいは「~すべきではない」という“べき論”が入り込み、さらには「正しい」「正しくない」などの「判断」をします。多くの場合、その判断は、自分の脳のフィルターを通して、多少なりともその事実を歪曲させて出力した判断となります。

例えば、一人の同僚が、機嫌良く働いていました。周りの同僚はその同僚の変化の様子を見て様々な判断をします。

一人目の同僚は、「昨日までは不機嫌だったくせに、急にご機嫌になったりして理解できない」と否定的に判断します。二人目の同僚は、「何か前向きになれるきっかけがあったのだ」と肯定的に判断します。三人目の同僚は、「機嫌のいい時もあれば、悪い時もある」と肯定も否定もせずにニュートラルに判断します。

このように、事実は同じでも、人の脳のフィルターが異なるとその事実が歪曲されて、さまざまな判断に出力されます。しかし、多くの場合、自分の判断が正しく、それがあたかも事実であるかのように錯覚しがちです。

人や組織、社会、国、などに対して「被害意識(ストレス)」を感じている場合、多くの場合、その対象に対して何らかの期待感が存在します。そして、その期待感は、「~すべき」「~すべきではない」、あるいは「正しい」「正しくない」などの自分の価値判断につながる傾向があります。

例え、人や組織に対して何も期待していないと考えていても、その対象に関係することで被害意識、あるいはストレスを感じる場合、その人の言動や行動に対して、「○○のように言ってほしくない」、あるいは「○○のような行動はとってほしくない」などの「期待」が存在しているはずです。そして、さらにそれは「○○の理由だから」という自分の考えを正当化する「判断」がそこに加わります。
多くのパターンは、「期待」→「判断」→「被害意識」という負のサイクルを創りだし、メンタル的にも身体的にも自分を苦しめるサイクルになりがちです。そして、多くの場合、その対象となる人や環境が変わらなければ、この負のサイクルからは抜け出せないと思い込んでしまいます。

人は、多かれ少なかれこの負のサイクルにハマって苦しみやいらだちを経験してきているはずです。このような負のサイクルにハマっている場合、このサイクルから抜け出すためにはどうしたらいいのでしょうか?

私の臨床経験からいえることは、ご本人がこのサイクルにハマっているということをしっかりと認識し、そこから抜け出したいと心の底から願っている場合は、ご自身の気づきによって抜け出すことは可能です。

負のサイクルから抜け出す方法として、紙に書き出す事が非常に有効です。下記にその手順を記します。

★この手順を行う際、自分は、期待もしていないし、判断もしていないし、被害意識もないというような心 やさしい人格者になろうとしないでください。人である以上、ネガティブな側面は誰でも存在します。そのネガティブを認識できることで、次の成長へと進んでいくことができます。

★全体的には、「期待」→「判断」→「被害意識(ストレス)」という負のサイクルをしっかりと認識するためにこの手順を行います。

★具体的には、「期待」と「判断」と「被害意識」の詳細を明確にします。

1. 最初は「期待」についてです。相手や組織への期待度の理想を100%として、実際に、その相手はその期待に何パーセント答えてくれているのか?紙に○○%と書き出します。
2. そして、逆の立場に立って、相手や組織があなたに期待する理想を100%として、実際にあなたはその期待に何パーセント答えているのか?それも紙に○○%と書き出します。このとき、できるだけ第三者的な立場に立って、判断することが大切です。
3. 次は「判断」です。その期待通りになっていないことに対して、あなたは、具体的にどのように判断しているかを列記します。
4. その判断は、真実なのか?絶対に自分の判断が正しいと言い切れるのか?を考えます。
5. 最後に、「被害意識」について、具体的に相手との関係でどのような「感情」が湧きあがってくるのかを列記します。

この5つの段階を進める際には、単に心の中で思うのではなく、具体的に紙に書き出すことが重要です。

これは、理屈で考えるのではなく、思いつくまま書きだすという行動が大事で、その行動が脳を刺激します。そして、その刺激は、負のサイクルから抜け出す新たな神経回路を創りだすきっかけになります。新たな脳への刺激が、深く、幅が広ければ広い程、その効果は高まります。負のサイクルから抜け出すプロセスは、相手や環境を変える方法ではなく、あなたの「気づき」の中にあります。では、頭の体操だと思って、お気軽にお試しください。

2011年10月22日土曜日

「個人は質素に、社会は豊かに」 

先日、土光敏夫さんのことが紹介された新刊「清貧と復興 土光敏夫100の言葉」 出町譲 (著)を購入して読んでみた。

もう15年以上も前になるが、父が数十年前に購入していた1970年出版の「経営の行動指針」という土光敏夫さんの本を読んだことがあった。当時は、開業当初で、「経営のことも何か勉強しなければならないな・・・」という感じで、経営のことなどほとんどわからなかった。しかし、土光さんの本を読んでなぜか心に響くモノがあった。

特に「個人は質素に、社会は豊かに」という土光さんのお母様が残した言葉には感銘を受け、その言葉を筆でキャンバスの布に書いて、額縁にいれ、治療院に飾っていた時期があった。そして、その言葉の影響を受けて、「分相応に個人は質素な生活を心がけ、人々を豊かにせよ。」という言葉を創り、弊社の社訓の一つに加えさせていただき、未来のための指針にしている。

まだまだ、その言葉には近付けていないが、その言葉は確かに指針となっており、方向性を見失わないような羅針盤の役目を担ってくれている。

独身時代、収入も増えて、今よりも税金をたくさん払っていた時期があった。どうせ税金で払うのだからと、海外研修でビジネスクラスの座席を使ったことがある。土光さんには「そんな贅沢は必要ない」としかられるかもしれない。

飛行機での海外研修も最初のうちは、少しワクワク感を感じていたが、飛行機に乗る回数も増えてくるとそれに慣れてきてネガティブな感情が湧いてきた。恐らく、ビジネスクラスとファーストクラスとの比較が入り、その格差に不満、あるいは嫉妬心を抱いていたのかもしれない。そのようなネガティブな感情も重なって、ビジネスクラスに乗ってみた。

その時、ビジネスクラスを楽しむというよりも、ビジネスクラスに乗る乗客の人達を空港のラウンジでよく観察していたのを覚えている。どのような人達なのだろうか?お金にはゆとりがあるのだろうな~・・・ゆとりもないのに見栄をはっているのだろうか・・・どんな職業なのだろうか・・・など色々と想像を膨らませた。

それはそれで楽しい妄想だったが、なぜか自分にはしっくりこなかった。というよりも自分はビジネスクラスのタイプではないと感じたのかもしれない。

それ以来、ビジネスクラスにはご縁がなくなった。

現在では飛行機が海外を飛び回っている時代だが、飛行機が飛び始めた当時では、エコノミークラスの座席はとても贅沢な座席だったに違いない。

今では豊かになり、他との比較対象があるが故に、エコノミークラスの座席は贅沢ではなくなった。しかし、それはその人の心の持ち方で、豊かな気持にもなれはずだと、最近ではエコノミークラスを楽しんでいる。

質素な生活の中にこそ本当の豊かさが隠されているのかもしれない・・・

2011年10月20日木曜日

PCRT Advance1の 研究会を終えて・・・

毎度のことであるが、今回もボリュームが多すぎて、消化不良を起こされている先生方も少なくはなかったようだ。ただ、継続的に参加されている先生方は、着実にスキルアップされている様子が伺えた。『継続は力なり』ということを、理屈ではなく肌で感じることができた。

通常では、ハード面の施術法はベイシックで紹介するが、今回は特別に、「持続圧振動法」という新しいハード面の施術法をご紹介させていただいた。アクティベータメソッドやブレインマップでもハード面の施術効果は十分に得られるが、その検査法とは異なる受容器を見る検査法になる。技術的には難しい手法ではないが、コンセプトとしては、新しい概念なので、一日目は、受講者にとって戸惑いがあった様子。実際に施術を受けて体感してはじめて、その価値を理解できた人も少なくはなかったようだ。

今回初めてこの「持続圧振動法」を紹介して、従来のコンセプトとは異なる理論的背景の伝え方や説明の仕方のポイントも見えてきた。自分自身が開発した施術法なので、テキストを作り、プレゼンをするまでは、伝える側と受講する側とのギャップがどこにあるのかが分からない。プレゼンをして、受講者からの質問を受けて初めて、何をどう伝えなくてはならないかの盲点が見えてくる。

また、臨床各論では、アレルギー、メンタル領域、小児や動物の代理検査、婦人科系などを予定しているが、ボリュームが多すぎるので、来年度からは2年間のスパンでアドバンスのプログラムを終えるようにゆとりを持たせて、消化不良が生じないように工夫してみたいと考えている。

実技指導をしていて気にかかるのが、神経反射検査が安定していない先生と、認定を維持するために年に一回だけ受講する傾向のある先生方だ。一応検査の形はできているが、本当の神経反射を読み取ることができているかが気がかりだった。

神経反射検査がしっかりとできているかどうかの判断は、繰り返し確認しなければ判断しがたいところがある。自分は神経反射を読み取れているレベルではないと自覚して、研究会に毎回参加して努力を重ねている先生はマスターすることができると思うが、本当はできていないのに、自己判断でできていると思い込んで改善しようとしないのはとてもデメリットのように思う。

やはり、神経反射検査ができているかどうかの判断基準は明確にしなければならないのではないかと考えている。第三者が評価することで、自信が持てない先生も持てるようになるし、自信過剰の先生も改めて修正することができるだろう。

将来、神経反射検査の実技試験制度などを設けて、検査で本当に異常反射を読み取れているかどうかを審査する第三者審査委員会のような機関を作り、そこで認定書を発行できるようになれば、本質的なレベルアップにつながるだろう。それは、認定者に自信と信用を与え、その基本レベルから着実に進化し、患者さんへの貢献度のアップにつながることが予測できる。

恐らく、この神経反射検査が信頼できるレベルであるかどうかは、直接的な治療効果につながる。治療効果を上げるためにもこの基準は最低限のレベルといってもいいだろう。言い換えれば、この最低限のレベルに達していないにも関わらず、その先にある様々な施術法や理論を学ぶのは、せっかくの知識を生かすことができずに「猫に小判」ということになるのかもしれない。

これはとても難しい課題になるだろう。様々な人の意見を参考にしながら進めていきたい。

2011年10月3日月曜日

「目標設定」と「流れに身を任せる」 

先日、健康教室の時間に、「目標設定する」ことと、目標など設定せずに、「流れに身を任せる」という二通りの生き方について考えてみました。人生をより良くしたいという共通した目的を基準にすると、どちらの生き方にもそれぞれにメリットとデメリットがあり、人それぞれに様々な考え方があるようでした。

「目標設定」と「流れに身を任せる」という一見して対極的な方法論のようですが、どちらの方法が正しいとか正しくないとかではなく、どの手法を使えば、自分らしくより豊かに生きていくことができるのかということを考えてみることが大切だと思います。

そして、その手法は、二者択一的にどちらか一方を選択しなければならないという訳ではなく、その時々の人生の波や時代の流れに応じて両方の手法を使い分けることも必要なのかもしれません。
云うならば、「目標設定」を行いながら生きていく手法は、「論語」の教えに通じた生き方で、目標設定の過程において、様々な壁にぶつかりながら人は成長し、人間形成を営むことに価値をおいていると云えるでしょう。その一方で、「流れに身を任せる」生き方は、老子・荘子の「老荘思想」に通じて、「ありのままを受けいれる」ような生き方といえるかもしれません。

「論語」と「老子」の幅広く深い教えの中で、類似した教えがあります。「過ぎたるは及ばざるが如し」という孔子の教えと、「足るを知る者は富む」という老子の教えです。どちらの教えも「充足感」の上手な感じ方に気づかされるような言葉ですが、論語的な「目標設定」も老子的な「流れに身を任せる」という生き方も共通して大切なのは「充実感」や「充足感」なのかもしれません。

自分らしくより豊かに生きる基準は、人それぞれの価値観によっても様々です。ある人は、経済的に豊かになること、あるいは、社会的な地位を確立することで人生の豊かさを感じるかもしれません。その一方で、お金、地位、名誉に関わらず、自分の好きな仕事に打ち込んで、日々の「充足感」を感じることで、人生の豊かさを感じるかもしれません。それは、時代の流れと共に人々の価値観が変化するように、「豊かさ」や「充足感」に対する価値観も成長に伴って変化するのでしょう。

書店では「成功」のための指南書として様々な自己啓発本が販売され、どのように目標設定すれば、自分の欲しいモノが早く手に入るのかを解説しています。それは、問題を解決するために役立つかもしれませんし、さらなる理想に挑戦することに役立つかもしれません。しかし、「流れに身を任せる」という生き方を選択した人にとっては、あまり意味のない書物なのかもしれません。

ファミリーカイロには、身体的な症状や、メンタル的な症状の改善のために多くの方が来院されます。数年前より、コーチングの導入によって、症状や問題の解決というよりも、さらなる「理想」や「可能性」に挑戦するために利用して下さる方もだんだんと増えてきました。

多くの場合、最初は症状やメンタル的な改善のための施術を行いますが、施術の過程において、直感的にこのクライアントさんは、現在の身体的、あるいはメンタル的な症状に焦点をあてるよりも、未来の目標設定をされた方が、日常の充実感や満足度が高まり、その結果として慢性的な症状や問題も改善するだろうと感じることがあります。

そのような場合には、クライアントさんへ、コーチングを提案させていただきます。その提案をクライアントさんが快く選択していただくことができると、より良い方向へと向かうことが多々あります。そして、最初に訴えていた症状や問題は枝葉に過ぎなかったということが、コーチングを受けた後に明らかになってくることが多いようです。

目標を言葉に出さなくても、無意識的に向かうべき目標を目指して淡々と生きている人もいます。その一方で、明確な目標があっても、もう一人の自分がブレーキを掛けて、身体的にもメンタル的にも様々な症状を引き起こしている人もいます。

もしも、現在の自分に満足できていない場合、あるいは、原因不明の身体的な症状がある場合、頭で考えている自分と身体で感じている潜在的な自分との不一致が疑われます。その場合は、本当に自分はどこへ向かっていきたいのかを整理して、もう一人の自分と対話をし、お互いが納得できる方向へと軌道修正することが必要です。そのよう場合はコーチングがとても役立ちます。

コーチングは、日本では、まだまだスポーツコーチのイメージが強く、厳しく指導されるのではないかという印象があるようです。しかし、コーチングは、現在の状況を整理し、クライアントさんが本当に向かいたい方向を二人三脚で探し、それを支援する役割を担います。

よって、コーチは提案をすることがあっても、指導するという立場は取りません。また、その提案も選択するのはクライアントさんで、クライアントさんが自分の意志で選択し、自分が選んだ選択に伴う行動や結果に責任を持つことがとても重要になります。

コーチングは、クライアントさんが「これを改善したい」あるいは「このような理想に近づきたい」という希望がなければ始まりませんが、その目標設定の過程で、時の変化に上手に適応するために「流れに身を任せる」ことも、重要な考え方の一つになることも多々あります。

「目標設定」も「流れに身を任せる」という生き方も、どちらも大切な方法論ですが、もしも、人間が、何かの役に立つために生まれ、そのために成長する使命があるという前提にたてば、ゴールを決めて歩んでいくことは、人生での「豊かさ」や「充足感」を得るためには大切なことなのかもしれません。私は、今はそのように感じていますが、時代の流れや年齢とともにその考え方も変わるのかもしれません。

2011年9月23日金曜日

被害者へのパターン

先日、古本屋で買った本をパラパラっと読んでいて、以下の言葉に目がとまった。『世の中には2種類の人間がいる。「アンカー(船の錨)」と「モーター(原動機)」だ。アンカーはあなたのやる気をそいで動けなくするので縁を切ったほうがいいが、モーターはあなたを元気にして勢いよく動かしてくれるから一緒にいたほうがいい。』 ロバート・ワイランド(アメリカの画家)

確かにそうであるが、エネルギー的なバランスでは、モーターとなるポジティブな人と、アンカーとなるネガティブな人との絶妙な関係性でチームやペアのバランスが取れているということもあるだろう。

例えば、チームや組織の中には、多かれ少なかれ、アンカーとなるネガティブな人が存在する。単にネガティブだからといってその人を排除して、チームのバランスが良くなるとは限らない。そのネガティブな人の存在が、チームに気づきを与え、まとまりを良くするきっかけになっていることもある。

人生を共にする夫婦でも同じことがいえるだろう。もしも、夫婦が両者ともモーター同士だとどうなるだろうか?東洋思想に陰陽の関係が深く説かれているが、単に女性が「陰」で、男性が「陽」というわけではなく、時には男性が「陰」の役割を担い、時には女性が「陽」の役割を担うこともあるだろう。

人との関係性以外にも、自分自身の心の中にも、モーターの役割を担う心と、アンカーの役割を担う心があるだろう。もしも、自分自身の中にある「セルフ1」と「セルフ2」の心を互いに認め合うことができれば、心も豊かになれるが、認め合わないと自己矛盾が生じて、心身相関的にバランスが悪くなる。

普通列車は、先頭の動力車が残りの付随車を引っ張っているが、スピードの速い新幹線は、複数の動力車両で構成されている。チームや組織に動力型の人材が集まれば、遠心力が高まり、様々な活動が活性化されるだろう。しかし、動力となるモーターばかりが集まればいいというものではない。時には手を引っ張ったり、足を引っ張られたりすることも奥深い人間関係を創る上で、大切な学びとなることもある。

人生は、多かれ少なかれ、「陰」と「陽」のバランスでできており、物事が順調に進む場合と進まない場合がある。「人間万事塞翁が馬」ということわざがあるように、そのことが幸福になるとも限らないし、逆に災いになるとも限らない。

ただ、そのような全体のバランスを考えずに、何事につけ、自分が被害者になるように、あるいは、相手を加害者にさせるように、想像力をネガティブに膨らませる人もいる。このような想像力を被害妄想というが、実に上手に自分を被害者へとつなげてしまう人がいる。

基本的に大人は、自分の人生は、自分で責任を持たなければならないが、自分の言動や行動を誰かに相談、あるいはアドバイスを求め、もしも、そのアドバイスが上手くいかなければ、相談者を選んだ自分の責任は棚に置いて、アドバイスを与えた人に責任を転化してしまう傾向のある人もいる。

もしかすると、このようなアンカーとなる存在の人には十分に気をつけた方がいいのかもしれない。そして、自分を被害者へとつなげるクセのある人、あるいは被害者になるための想像力に長けている人の周りには問題が色々とあるようだ。それは、「問題」ではなく、ある意味では成長のための「挑戦」すべき事柄なのかもしれないが、被害者傾向の人にとっては、大問題と受け止めることが多いようだ。

では、このような被害者へとつなげるクセのある人は、一生涯そのクセは変わらないのだろうか?その様なクセにも程度があり、大きく分けると3つのパターンに分かれるように思う。第1パターンは、「そのような自分の心のクセにはほとんど気づいてない人」、第2パターンは、「ある程度、そのクセを認識しているが、なかなか変えられない人」、そして、第3のパターンは、「そのようなクセに気づいて、変えようとしている人」の3パターンがあるようだ。

もしも、被害者へとつなげるクセで、直接的にも間接的にも身体的、あるいはメンタル的に影響を及ぼしている場合、心身条件反射療法(ニューロパターンセラピー)では、コーチングを活用しながら、そのような心のパターンを、ご自分自身が自然に認識しやすいように、幅広い角度からの質問を工夫する。

この時に、コーチが注意しなければならないのは、コーチの深読みが過ぎて、クライアントには被害者意識の傾向があると決めつけて、それに気づいてもらおうと誘導してしまう恐れもあるということである。あくまでも幅広い質問を通じて、クライアント自身が自分で、自分のパターンに気づくことが大切である。

心身条件反射療法(ニューロパターンセラピー)やコーチングで幅広いクライアントの施術やコーチングを担当させていただいたが、結論的にそのクセは、自分自身がしっかりと認識することで、身体的な影響やメンタル的な影響を改善させることが可能になる。

クライアントが被害者へとつなげるクセに気づいた場合、そのクセを早く変えなければならないと急ぐかもしれないが、そのクセを変えるというよりも、まずは、そのような自分を認めてあげることが先決で、そのようなクセの背後にも肯定的な意図が隠れているものである。

まずは、潜在意識の自分が好んでそのようなネガティブな想像力を膨らませていることと、その能力に優れていることを認めること。そして、今まで無意識的につなげていたネガティブな想像力を意識化することで、自分自身でコントロールできるように方向修正をすることが大切だろう。毎日の生活で起こる出来事に対して、どれだけネガティブな想像力を働かせたかを一日の反省としてチェックするのもいいかもしれない。