2020年2月16日日曜日

ウイルスに対する「免疫力」と「適応力」

最近(20202月中旬)、連日のように新型コロナウイルスのニュースが飛び交い、感染者の数や死亡者の数が報告されています。感染者数や死亡者数以外に気になるのは、このウイルスの感染力や潜伏期間ですが、特に知りたいのは感染しても発病しない方や軽い患者がいるという報告の詳細です。人から人への感染も起こることが分かってきました。多くの情報が得られつつある一方、濃厚接触から飛沫感染などの感染のしやすさや感染源、感染経路、重症度など十分に分かっていません。また、この新型コロナウイルス感染症に対しては、有効性が証明された治療法はなく、ワクチンも存在しません。
私たちはどのように予防すれば良いのでしょうか?多くの人が行っている予防対策はウイルスを「避ける」という方法です。ウイルスが体内に入らない様にマスクや手洗いが必要だということは周知の通りですが、どこまで予防できるのかという科学的な有効性は曖昧な部分もある様です。「避ける」ということが過剰になり過ぎても精神的なストレスが心身のバランスに影響を及ぼしてしまうことにもなりかねません。今回の新型コロナウイルス は前回のSARSコロナウイルスよりも毒性が弱いという報告もあるようです。この流行がいつまで継続するのかは定かではありませんが、いつかは落ち着いてくることは前回の経過記録から見ても明らかです。
予防のために次に必要なのは「免疫力」を高めるということです。基礎疾患を持っている人は免疫力も低下しているので、重篤な状態になりやすくなります。逆に言えば健康で免疫力が高いと感染しても症状が悪化することが少ないかもしれません。しかしながら、基礎疾患のない成人の死亡例も出ているという報告もあります。基礎疾患のない成人が急激に症状を悪化させてしまう現象の1つに、「サイトカインストーム」があります。
免疫系はウイルスなど外敵が体内に侵入してきた際に、白血球が攻撃し始めます。この調整にはサイトカインと総称される生理活性蛋白質が重要な役割を担っており、体は白血球をさらに動員し、体温を上げてウイルスの増殖を抑えたり、咳や鼻水を生じさせたりと、さまざまな反応を起こします。このとき、一部の人では、その反応が強く出すぎて身体に大きなダメージを与えることがあります。それがサイトカインストームです。はしかやおたふくは子どものうちにかかると軽く済むが、大人になってかかるとダメージが大きくなりがちだというのはよく知られた現象です。
私が長年自然施術療法の研究をしてきた観点から感染症に対する予防対策は、「適応力」が鍵ではないかと考えています。これは「免疫力」と類似した考え方です。ウイルスが変異して進化して続けている今日において、人間も進化して適応していく必要に迫られているのだと思います。私たちは長い人生において、風邪などの感染症には何度か罹患しており、その都度、自然治癒力が働いて治してきた経験は誰もが持っているでしょう。インフルエンザで高熱がでるのも、自然治癒力が働いてくれている現象で、高熱を出してウイルスを死滅させる役目があるとされています。だから、熱が出たからといって簡単に熱を下げてはダメだと言われています。
私たちは子供から成人になる過程で様々な感染症に罹患して、自然に治す力を学習してきているのです。その経験が多いほど病気を治す力が身についていると言ってもいいかもしれません。例えば、子供には大変だからといって、親がいろいろなことをサポートし過ぎると、子供は自分で考えて行動する力が損なわれるので、いざという時に知恵が働かなくなるということもあるでしょう。また、高齢者だからといって、過剰に介護してしまうと、人はそれに頼ってしまい自分では何もできない頭、身体になりかねません。それと同様に風邪などの軽い感染症などは、できれば薬は少なくして、「体内にある薬」によって自力で治す方が、病気の治し方が訓練され、ウイルスに対する適応力も高まってくるのではないでしょうか?
私は長年アレルギー治療の研究を行ってきました。アレルゲンという目には見えないアレルゲン情報を身体に適合させる施術を行なっています。身体を使った検査で陽性反応か陰性反応かを判断し、調整後に陽性反応から陰性反応へと転じると、ほとんどの患者さんでアレルギー症状が改善されます。この施術法は、ヒトが本来持っている「適応力」を引き出す施術法であり、原因となるアレルゲンを避けるというより、「免疫記憶」を書き換える施術になります。
これは、「人間は外界との関係性で生かされている」というPCRT(心身条件反射療法)の哲学的概念の一つにも関係しており、免疫系とウイルスとの関係性を調和させようとする施術です。ウイルスが進化し変異し続けているとはいえ、ウイルスも自然界の一部であり、人間もその進化に適応し順応していく必要があるのではないでしょうか?人は本来進化するもので、「適応力」を高める力も進化させる能力を持ち備えているということを意識することも大切だと思います。
「避ける」という予防以外に、PCRTでできる施術があるとすれば、身体のバランスを整えて「抵抗力」を高めること。そして、ウイルス情報の過敏度を検査して、もしも、陽性反応が示されたら、その「免疫記憶」を書き換える施術、身体をウイルス情報に適応させる施術を行なって免疫系が過剰になりすぎない様に調整することができると思います。「抵抗力」と「適応力」を高めて、進化するウイルスと共存できる体質を創っていきましょう。

2020年1月31日金曜日

15年目の進化したPCRTのプログラム

PCRTのセミナーを開催して今年で15年目になりました。臨床現場での研究から開発されたPCRTをどのように教授するか試行錯誤の連続でした。カイロプラクティックをはじめとする様々な自然施術療法を参考にしながら、「なぜ治るのか」そして、「なぜ治らないのか」の本質と、臨床結果にこだわって研究を重ねてきました。PCRTの治療法は常に進化していますが、治療法のコンセプトは変わりません。そして、以下の原則に基づいて施術法を発展させてまいりました。

1.      心と身体はつながっている
2.      人間は外界との関係性で生かされている
3.      人間の機能は生体エネルギーでコントロールされる
4.      生体エネルギーは無意識の信号にコントロールされる
5.      人間の身体的機能や思考パターンを脳に記憶される

自然界、人間界に存在するこの5つの原則に従うことが自然施術療法の本質につながることだと考えています。

ただし、この本質は机上の空論では意味がありあません。臨床現場で実践されてこそ意味があると思います。PCRTを実践していると上記の原則は自然に理解できるでしょうし、理論と実践には矛盾が生じないはずです。また、経験を重ねるごとに「なぜ治るのか」そして、「なぜ治らないのか」の本質がより見えてくると思います。

今年のPCRTセミナーの特徴は、1日ごとにテーマが完結する学習プログラムになっています。特に基礎編は、「意念調整法」を多く取り入れて、より簡便に効果が引き出せるようにご指導させていただきます。また、セミナー前に学習していただく事前課題を挙げていますので、参考にされてより学習を深めていただければと願っております。

それでは、皆様と会場でお会いできることをスタッフ一同楽しみにしております。



2020年1月27日月曜日

「無意識の脳の信号」と「健康」

「意識」と「無意識」を理解することは心と身体の健康を維持するためにとても大切です。私たちの脳は、意識的な脳と、無意識的な脳に分けられます。私たちの身体の働きは、脳の信号によってコントロールされ、その90%以上が「無意識の脳の信号」によるとされています。私たちは、普段の生活の中で「無意識の心」を意識することはほとんどないと思います。例えば、ある目的地まで歩く場合、その目的地のことは意識しますが、歩く際に、「右足から踏み込んで・・・」とか、「次は左足を前にだして・・・」などのように身体の各部位をどのように動かすかなどは意識せずに無意識的に身体を動かして歩いています。

また、胃腸や心臓などの内臓の動きは無意識の脳に関係する自律神経系にコントロールされ、ほとんど意識ではコントロールできません。その自律神経系に誤作動が生じると、筋肉、内臓などの働きが悪くなり、体調不良が生じます。昔から「心身一如」という言葉があります。心と身体が一体となって調和していることの大切さを示した言葉です。ここで言う心身一如の「心」とは頭で考える意識ではなく、心の奥にある無意識のことを言っています。「頭ではなく身体で感じることが大切である」というように言われていますが、それはすなわち無意識の脳から発する心の信号のことを言っているのです。

「身体の働き」をコントロールしているのは脳ですが、私たちの健康の多くは「無意識の脳の信号」によってコントロールされていると言っても過言ではありません。「無意識の脳の信号」を理解することは大切ですし、健康への「カギ」になります。当院での「身体を使った検査」(生体反応検査法)は、「無意識」の脳の反応です。例えば、チャートを使った検査を行い、「警戒心」の反応が示された場合、普段、ほとんど意識していない内容なので、そのようなキーワードが示された場合は、「???」となる傾向にあります。「無意識」の心の奥にある事柄なので、すぐにはピンとこないことが多いのですが、様々な角度から質問をさせていただくと、「もしかすると、〇〇に考えている自分がいるかもしれない」、「いや、確かにそのようなことを感じている自分がいる」などのように、自分の心の奥を内観し、意識と無意識をつなぎます。

そして、その無意識の心の内容が腑に落ちると脳に新たな神経回路が構築され、症状も改善されやすくなります。症状に関係する誤作動記憶の反応は、明らかに意識できる“ストレス”よりも、何かモヤモヤした心の奥にある無意識的な内容がほとんどです。逆説的にいうと、「無意識の心の信号」が明確化されていないから誤作動が生じ、症状がパターン的に繰り返されると言ってもいいかもしれません。無意識の心の信号が意識化され、しっかりと認識できて意識と無意識が調和されると様々な症状が改善され、心のモヤモヤも晴れていく傾向があります。

氷山の一角である「無意識の脳の信号」を理解することは、心と身体を健康に保つためにとても大切です。原因不明の症状が生じたり、心の奥にモヤモヤ感が生じたりするときには「無意識の脳の信号」が関係しています。自分の心の奥を内観し探索してみて下さい。たとえそれが否定的な心であっても、それを認めて受け入れることが症状を改善することのみならず、豊かな心を育むことにつながるようです。まずは、ご自分の「無意識の心」を理解することを意識してみましょう。

FCCニュースレター2020.2-3

2020年1月8日水曜日

「心のブレーキ」がもたらすパフォーマンスの低下

先日、全日本クラスのバドミントン 選手のパフォーマンス低下に対する問題に関して、相談を受けました。ある練習試合で前半戦は大幅にリードして、通常であれば勝つのが当たり前のような状況だったとのこと。しかし、そこからまさかの逆転負け。何がそのようにパフォーマスを低下させてしまったのか?その記憶を辿って生体反応の検査で探索してみると、その記憶のパフォーマンスに陽性反応が示されました。陽性反応があるということは、無意識的な神経信号に関係する何らかの「誤作動記憶」があるということです。

その誤作動記憶に関連するキーワードを検査してみると「虚栄心」という言葉が示されました。その時の対戦相手は大学の後輩で、お互いに気心が合う間柄とのこと。試合中、無意識的に後輩のことを想い、リードし過ぎると後輩の練習にはならないという想いが心のどこかにあったかもしれないという。それがどのように「虚栄心」につながるかというと、平たく言えば「良い先輩」として思われたいという無意識の心につながっていたということです。

もしも、大幅にリードしたまま後輩を負かしてしまうと、それは思いやりのない先輩につながり、相手を敬う良き先輩であるという理想像が崩れてしまうというような状況で、無意識ではありますが、後輩のことを思って少し手を抜いたということになります。以前には「慈悲心」というキーワードがパフォーマスを下げる要因として関係しており、先輩を負かしてしまうと申し訳ないという心のブレーキがパフォーマスに影響を及ぼしていた様子でした。

私は彼を6歳の時から事あるごとに治療やコーチングでのサポートをさせていただいています。小学生の頃からすでに全日本レベルの選手でした。中学生から親元を離れて遠方で寮生活を送っていました。帰省の際には毎回治療院を訪ねてくれたり、遠隔での治療も受けていただいたりしていました。陰ながら彼の成長をみさせていただいており、多くの人に好かれるタイプであることは明らかでした。それは一重に人への「思いやり」を大切にしているということがよく分かるのですが、その「相手を敬う心」に関係する「心のブレーキ」がパフォーマスを下げているということにつながっていました。

「相手を敬うという心」は人としてのあり方を支える大切な心の信念ですが、試合のパフォーマンスに影響を及ぼしているというのは別の意味で問題です。そのような「心の在り方」をどこで培ったのか、最初のきっかけはいつだったのかなどを質問したところ、親元を離れて最初に寮生活を始めた時とのことでした。その教えはバドミントン部の監督を通じて、先輩後輩の関係性を寮生活、部活動を通じて学んだということでした。

勝負の世界では「闘争心」が力を発揮します。しかし、彼にとってはその「闘争心」という言葉には違和感がある様子でした。恐らく世界トップレベルの選手が勝ち続けている背後には「不屈の闘争心」があるのではないでしょうか?あらゆる壁を突き崩して勝利へと導くには「闘争心」が必要不可欠でしょう。相手に絶対に勝つという闘争心を燃やすことで、自分の実力を最大限に発揮し、さらにはそれ以上に力を引き出すことにつながるかもしれません。「闘争心」には相手を慮る心がないように感じますが、それも解釈の仕方で様々な受け止め方ができます。

トップに行けば行くほどに真剣勝負の度合いが高まります。世界選手権やオリンピックの大会になると自国の期待を背負うことになります。そんなプレッシャーの中で、相手を慮る気持ちがあると複雑な心境になるでしょう。「相手を敬う心」を変えることなく、秘めたる闘争心を引き出すためにはどうしたらいいのでしょうか?勝負の世界でお互いが全力を尽くして戦うことに意味があります。お互いに真剣勝負で全力を尽くすことが、「相手をリスペクトする」ということになり、「闘争心」を燃やして、自分を出し切ることが、相手に敬意を払うことになると解釈することもできます。

互いに全力を尽くして戦って、たとえ相手が負けたとしても、それは勝敗を超えた意味ある課題が相手にできることでもあり、未来のための意味ある課題の創造につながることもあると思います。真剣勝負で戦うことの意味や心得を整理できれば、恐らく今までとは異次元のレベルで試合ができるかもしれません。身近にいるトップ選手にそのような「闘争心」なないかどうか質問してみました。すると、ある時、身近にいるそのトップ選手は、練習の際に力を抜いたようなプレーがあったというような感じで相手の選手に怒っていた場面があったといいます。

その時は、そのことに対しては違和感があったとのことですが、コーチングでこのような話をした後で、彼のことを振り返ると、練習の時でさえも真剣勝負で「闘争心」を燃やしており、格下の選手にもそのレベルの気持ちがないと、叱咤激励の意味も込めて鼓舞していたのだということが分かった・・・・とその時のことを回想していました。練習や試合以外の時には「相手を敬う心」は大事にしても、いざコートに立ったら、練習試合でも「闘争心」を燃やす訓練は日々積み重ねておくべきでしょう。恐らく本番の試合だけ「闘争心」のスイッチを入れて切り変えればできるというものではないように思います。

コーチングを織り交ぜた遠隔治療を終えた後、とても大切なことに気づいたとフィードバックしてくれました。昨年はランキングも伸び悩み、プレー自体も楽しめない自分もいたということを打ち明けてくれました。恐らくトップ選手に必要な「闘争心」が欠けていたのかもしれません。私も長年彼をサポートさせていただき、この気づきは彼にとっては大きなターニングポイントなったのではないかと感じました。恐らく彼が持っている秘めたる闘争心に火をつけることで、さらなる次元へと進化していくように思います。さらなる彼の成長を楽しみに陰ながら応援しています。

2019年12月14日土曜日

「つながり」と「関係性」でとらえる力

先日、NHKのダビンチ・ミステリー(第2集)という番組を見ました。モナリザの絵画で知られているダビンチは、医学、生物学、物理学、工学・・・あらゆる学問に精通していた「万能の天才」と言われています。そのダビンチの思考を分析するために膨大な「手稿」を世界から入手してAI解析を行い、ダビンチの「脳内」を再現するような広大なプロジェクトが紹介されていました。その中で、ダビンチを研究している心臓弁手術専門の心臓外科医は、ダビンチが描いた心臓の内部を現した解剖図に感銘を受けたといいます。その解剖図には心臓の内部の血液の流れが描かれており、血流の渦の回転力で心臓弁を閉じる機能まで解説しているのです。それは500年前に描いた解剖図です。心臓弁を閉じる仕組みは最近のコンピュータのシュミレーションによって、血液の流れを解析することで心臓弁の箇所で渦を巻いてその勢いで弁が閉じられるという仕組みが明らかになったとのことで、どのようにしてダビンチが最新の分析器もない時代に、その弁を閉じる仕組みが血流の渦によって引き起こされているということが分かったのでしょうか?

番組では500年前の分析機器がない時代に、ダビンチがどのように心臓弁を閉じる原理を知り得たのかということが紹介されていました。その秘密をAI解析してみると、ダビンチは「水」に対して異常なこだわりがあったことが分かりました。彼は川の運河を観察し、渦が生じる仕組みを何度も実験し、解剖によって動脈で再現したのではないかと言われています。水は血液と結び付き、生命という根源的な関心へとつながっていく様子が示されていました。まさに水こそが地球を循環しており、世界をつないでいる大切な生命の源になる。理論物理学者・フリチョフ・カプラによると、「世界の全てを知りたいと願ったレオナルドにとって水こそがその象徴だったのではないか」と述べています。

ダビンチは「自然には法則のない結果は何もない」、「法則を理解せよ」と記述しています。フリチョフ・カプラによると、・・・『ダビンチが膨大な知識に基づいて、複雑な仕組みを全体の「つながり」を通して考える発想を持っており、それは、すなわち「システム思考」で物事を幅広く考察し、体系的に考えていたのではないか。」「光学、解剖学、認知科学、存在論など科学や哲学、さらには芸術を融合させ、全ての知識がインターネットのように分かっていたのではないか?」・・・と述べています。ダビンチは科学と芸術の領域を行き来して、さらには哲学をも融合させていたようです。これは、カイロプラクティックの創始者であるDDパーマーや2代目のBJパーマーの考えに通じていますが、もしかすると、ダビンチの影響を受けていたのかも知れません。

番組ではダビンチが幼少の頃から「自然」をくまなく観察していた様子が紹介されていました。そのような「自然」に対する観察力が土台となって、数学や幾何学などの様々な知識とつながり、様々な発明発見につながったのでしょう。「自然」という本質を土台にすることは、様々な法則につながっているようで、「人間の本質」も「自然の本質」につながっているように思います。番組の最後に、・・人類の複雑化、グローバル化が進む現代において、「細分化」する技術では対応できない問題が生じている、これからは「つながり」から世界をとらえる力が求められるのではないか・・というコメントが心に残りました。この番組を通じていろいろなことを考えました。本質的な治療法を長年研究してきた治療家として、「細分化」でとらえる機械論的な診方に限界を感じ、「つながり」、「関係性」でとらえる有機論的な診方へと方向転換した20年以上も前のことを思い出しました。改めてこれまでの臨床研究が意義あるものであり、時代の流れに沿ったテーマであることを再認識し、これからもこのテーマを深めていきたいと心に響くものがありました。


2019年12月12日木曜日

第79回AMセミナーを終えて

先日、今年最後のAMセミナーが終了しました。熱心に参加して下さる先生方と共に学びを深められることをいつも有り難く思っております。AMのことをよく知らない人たちにとっては調整器具自体が強調される傾向にありますが、臨床的な効果につながる大切なポイントは「一貫性のある下肢長検査法」です。二日目最後のワークでは、それぞれの課題に応じてグループワークが行われます。いつも人気のワークは「下肢長検査で反応を読み取るワーク」のグループです。

これは、多くの先生方が、「臨床上、反応を読み取る技術が重要である」ということを認識されているということの表れだと思います。もちろん、コンタクトの仕方も治療効果を引き出す上でとても大切です。これらの技術技能は恐らく教科書を読んだだけでは学べない内容だと思います。繰り返し体験して、他者からのフィードバックを得て「気づき」が得られるものだと思います。この「気づき」は言葉では表せないいわゆる「コツ」のようなものなので、体験して習得するしか方法はありません。

今回のセミナーにおいても、この「気づき」を得た先生が何人もいました。恐らくセミナーで得たいくつかの「気づき」は、ご自分の臨床現場で生かされているのではないでしょうか?「技」というものは、『「頭」ではなく「身体」で覚える』と言われ続けています。まずは、「基礎」の「型」をしっかりと身体に覚え込ませながら、多くの患者さんの身体を通じて、生体反応やコンタクトの程よい感覚を体得していただければと思います。

それではまた、来年度もセミナー会場でお会いしましょう。


2019年12月7日土曜日

「自責」と「他責」どちらが健康的でしょうか?

人は様々な「ストレス」に遭遇しながら生かされています。「ストレス」と聞くと、精神的にネガティブなことだと思われますが、ポジティブなストレスもあります。それは、人それぞれに捉え方、解釈の仕方によって受けるストレスがネガティブになったりポジティブになったりするからです。例えば、あるプロジェクトの責任者に任命された時、Aさんは、「責任者として様々なことを犠牲にして、大きなストレスを抱えなくてはならない・・・」と悲観的に捉えるかもしれません。その一方でBさんは、「このプロジェクトを進めていく過程で、多くの学びを得て、将来の成長のための糧にしよう・・・」と楽観的に捉えるかもしれません。

人間関係において、多くの人が「ストレス」を経験します。自分の部下やパートナーに、期待しているような行動がみられない時、あるいは、自分の上司や周りの人たちに期待しているような評価をしてもらえない時などは「ストレス」を感じやすいと思います。様々な人間関係において、「捉え方」「解釈の仕方」は様々です。大きく分けると「他責」にするか、「自責」にするかです。他責の場合、「自分は正しい」「自分は被害者だ」ということを誰かに分かってほしいということに意識が向いてしまう傾向にあります。一方、自責の場合、「自分のどこに問題があったのか・・・」「自分の何がそのようなことを引き寄せたのか・・・」というような意識が働く傾向があります。

さて、人間関係や組織の関係性において、「他責傾向」の人と「自責傾向」の人では、どちらの方が発展的で、成長への方向へ進みやすいでしょうか?また、どちらの方が健康的でしょうか?ある問題が生じた時、「他責傾向」の人は、問題を解決するために、責任や原因の所在を他者や環境に求めていきます。そうすると、他者が行動を起こさない限り問題は解決しませんし、自分自身が行動を変える必要性は無くなります。そして相手を非難するだけの傍観者になるでしょう。その一方で「自責傾向」の人は、自分の何がそのようにさせたのか?自分の何がそのような問題を引き寄せたのかと考え、自らを変えようとして行動に移して問題解決へと導いていきます。誰がみても99%相手の責任だとしても、「目の前にある課題は、自分の何かが引き寄せた結果であると解釈してその課題に向き合う人もいます。

「自責傾向」の人と、「自虐傾向」の人とは性質が異なります。「自責傾向」の人とは目の前の問題や課題を自分自身の学びや成長の糧にする人です。「自虐傾向」の人は、自分を卑下して、他者からの哀れみを引き寄せようとする傾向のある人です。もしも、それが長期的な心の「クセ」になると、人生は明るいでしょうか?「他責傾向」の人と「自責傾向」の人ではどちらが人生をポジティブに豊かにしていくでしょうか?あなたは、「他責傾向」や「自虐傾向」の人のそばにいたいですか?それとも「自責傾向」の人とともに人生を歩んで成長をしていきたいですか?

人生において健康を維持することはとても大切です。これは、多くの患者様の健康をサポートさせていただき感じることですが、人生に豊かさを感じるのは、様々な問題を自分の課題として向き合う「自責傾向」の人達です。人生の中で「他責」にしたり、「自虐」になったりする経験は誰もがすることかも知れません。私自身も長い人生経験を通じて、「他責」にすることが多々ありました。今でも時折他責にしてしまうこともあります。振り返るとそこには反面教師として学ぶことはあっても問題解決や自分の成長にはつながりませんでした。やはり、自分自身が変わることで現状に変化が現れていました。これは頭で理解しても何も変わりません。実際に行動に移すことで知らず知らずのうちに変化が生じるものです。

恐らく、多くの人は「自責」で考えた方が自分の人生や健康にとっていいとは分かっていても、時には他責的な発言をして共感を示してほしいと思うことことがあるでしょう。私たちはそのような患者様の気持ちをできるだけ理解し、耳を傾けるようにしています。そして、患者様が「自分の気持ちが理解されている」と十分に感じられると、徐々に自責の思考へと変化していく方も少なくはありません。その変化は内容によっては長い期間を要する場合もありますが、私たちは患者様の気持ちを徹底的に理解し、寄り添いながらサポートすることが大切だと考えています。

人生は山あり谷あり、人は人とのつながりの中で生かされています。もしも、現在抱えている人間関係などの問題や課題が「他責傾向」の罠にはまっているのであれば、今一度ご自身の思考パターンや行動パターンを見つめ直す機会かもしれません。他者はコントロールできません。コントロールできるのは自分自身です。「自責傾向」へとシフトして考えることは、人生を豊かにし、健康を維持していく上でとても大切なことになると思います。さあ、「自責」「他責」、あなたのどちらの傾向なのか今一度見直してみましょう。